訳者も後書きで触れているが、作者にはある程度参考出来るモデルが複数居た様子。70年代後半から80年代通じ90年代初期迄、こうした狂信集団の一般大衆には理解しきれない行動や、一般社会とは隔絶した奇妙なルールで組織化する大勢の人々が報じられ、米
国に於いても数々の事件があったことを、 TVから写真週刊誌辺りに至るまで頻繁に報じていた。子は親の所有物ではないとの言葉がありながら、親の信心が子の幸福には結び付いていないとしたら、信仰対象は信仰の目的を達成してるといえるだろうか。
また、そうした、謎の集団行動をして家族から離脱して共同生活するなどして、グループの思想に走ったケースは日本に於いても度々報道されて、子連れ入信者が観測されていた。
本書は、親のせいで子が子ども時代の幸福を得られず地獄を見た、いたいけな被害者たちの、悪魔の幻影に怯え、逃げ回り、大人不信で15年流浪するしかなかった涙涙のストーリーである。
とても読みきれない、と、文字が滲んで視界クリアにならないまま、何度も本を閉じかけた。未来の光明こそハーレクインの身上のはずだ、幸せを見届けねば、との気持ちで結局時間を惜しんで、それでも先を読むことで気持ちが少しでも早く楽になりたくて、頁をめくり続けてしまった。胸が潰れて失くなりそうな気分だった。予めレビューを読んで覚悟つけてたはずなのに。矢張何度も心折れそうになった。多くの名前を与えられなかった子どもたちが、空中にさ迷う無念の魂となって浮遊しているのではないかと、フィクションの体をした、匿名化した子どもたちの告発本に思えてくる。辛すぎて抜けない胸部圧迫感、呼吸が正常に継げないかの彼らの追い詰められた環境の閉塞感、当時あった報道イメージ(その後退潮)、下敷きの存在を匂わす実話に寄せた臨場感、捕まって連れ戻されてしまうのではとの張り詰めた恐怖感、踏みにじられた尊厳、取り返せないもの。15年以上歳月を経ても解放されてない忘れたい(忘れさせてくれない)、しつこい記憶。宗教の仮面。
しかし、未来を見て生きる、けなげな二人のか弱くも逞しい日々と、その果てにあった、辿り着いた休息地に、今度は安堵の涙。
直前、幸福な少女時代前半を過ごし突然の暗転を経験した子の話を読んでおり、偶然だが対極に位置する作品だ。アプリのみ、ブラウザ対応無。1066頁が早く進む。
エピローグが所々蛇足感。原題邦題共いい。
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