※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
私が三木清論を手がけてから、これて三度日である。三回にわたるこころみが、いずれも同一のモティーフによるヴァリエィションであるからである。これらのこころみを一貫するものは、現代日本思想史上における三木清の位置を確定しようというモティーフであった。
ところで、このようなモティーフによって書かれた本書は、したがって三木清の評伝ではない。私は三木清の評伝の作者として適任ではない。評伝を目的とするのではないという意識も手伝って、本書の執筆にあたって私は、ありし日の三木清の身辺日常について聞きこみが可能であるにもかかわらず、あえてそれをしなかった。というのは、三木清について中島健蔵氏がいっておられるつぎの言葉に同感したからである。三木さんの思想は、書きのこされたものによって見るほかない。これは、考え、書くことを一生の仕事とした人間の必然的な運命である。しかし、それだけですむことであろうか。三木さんには、秘められた日記のようなものはない。われわれの思い出も、それほど深くは三木さんの中に侵入しえない。しかし、そういう材料のほかに、もっと三木さんの内部を明かにする客観的な材料が、まだ未処理のまま残っているのである。それは『時代』である。『歴史』である。三木さんだけでなく、人々をこのようにあらしめた現代である」(「最後の話題」「回想の三木清」)。ありし日の三木を知るひとの断片的な印象にたよるよりも、三木を三木たらしめた、われわれをわれわれたらしめている「時代」なり「歴史」なりをいかに処理するか――これが私の問題であった。現代日本思想史上における三木清の位置を確定しようということ、したがってまた、そのことをつうじてわれわれのあるべき姿を設定しようということ――これが本書の基本モティーフであり、かつねらいであった。だとすれば、これは容易なことではないはずである。三度目はおろか、四度でも五度でも私は三本清論を書きあらため、書きかえねばならぬであろう。
昨今、昭和史ならびに昭和思想史の本格的研究がしだいにみのりつつある。昭和思想史のオピニオン・リーダー三木清――私はそうおもっている――をどのように評価し、どこに位置づけるかは、この課題の一環をなすものといえよう。昭和思想史上における三木清の足跡を追求した本書が、この課題達成に幾分なりとも寄与しうれば幸いであるとおもっている。(「あとがき」より)
目次
UP選書への収録にあたって
人格主義的ヒューマニズム
新カント派からハイデッガーヘ
人間学のマルクス的形態
不安の超克からネオ・ヒューマニズムへ
「束亜協同体」論
構想力の論理と「親鸞」
三木清略年譜
主要参考文献
あとがき