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この本は、言語論なり日本語論なりの流行の有無にかかわりなく、成るべくして成ったものと僕としては考えたい。ただ、理論的な整合性をめざすよりも模索の定着をめざすという僕の著作の常套的なやり方のゆえに、いささか雑然たる印象を拭い得ないとすれば、その点については読者の寛恕を乞うほかはないが、あわせて、万人にとっての〝生活世界〟そのものにはかならないこの言語という謎めいたものについて、あらゆる既成の知識を離れた生の考察への出発が各人によってなされることを望んでおきたい。
それにしても、可能なかぎりの整序づけは要請されると考えて、全体を二部に分けてみた。このうち第二部は、〝総序〟的な役割をはたす冒頭の一篇を除いて、さしずめ現代の社会状況における言語の問題を扱っているということができるであろうが、できるかざり言語の本質的な様相に触れる角度から、それらを捉えることに努めた。第Π部は、日本語なり日本の言語文化なりの問題に関する考察であるが、これについても、たんに日本だけの問題として取り上げるのではない視点を確保しようと心がけた。そのなかで道元の言語観に触れた一篇の不十分さは、拙著『道元とサルトル』(講談社)の第六章「語句は念慮を透脱す――言語と思想」によって或る程度まで補われるものと考えている。なお、末尾の一篇は、現在の言語論の状況のなかでの僕自身の言語考察の位置づけといった意味あいをも帯びているものとして、いわば″あとがき″に準ずるはたらきをしていると見ることができるかも知れない。(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
根源的流通をめざして――言語と人間
想像力としての性
権力の言語と沈黙の意味
現代社会の言語状況
零地点の言語
Ⅱ
日本語の可能性
古学の復権――国語国学問題のために
古文辞学とアルケオロジ――徂徠・宣長とフーコー・デリダ
〝風狂〟の位相 隠者と無頼――非在のエクリチュール
空海とデリダの言語思想
道元の言語観
現代言語論の死角――言霊論の周辺
あとがき