恋が周囲に引き裂かれた話の典型のようでいて、その実、この話の中にある嘘はひとつではなかった。
子どもというものはそういうものなのだと二重に語る構図になっており、子どもの親へ寄せる愛情と信頼というものが強く表現されていた。子どもから見た
親という存在と、親の行為が子に与えることについてとが、子どもとしてのヒロイン、子どもとしてのアッシュ、二人の子であるジュールズ、三者の立場を見せて語る話だ。
男女の愛が、親子関係によって歪められた。美しかったラブストーリーが当人たちの知らないうちに汚されていくよう。当人に吹き込まれる歪められた情報。
思い出というものは他人が語ったり加工することで、いともたやすく真実とかけ離れてしまう、その他の人々の心が抱いてるものとは違う形になっていってしまう、ということを私はこのストーリーの中に見た気がした。人の言葉でものを見るのではなく、実際に、自分の足と目と耳で、確認をして見えてくることが、真実に近づく唯一の道であることを、教えてくれるストーリー。ヒロインもその彼も、自分から真実を掴みに行って、歪めた情報をもたらした人物以外の証言を得るまで、偽のストーリーを信じていた。
と同時に、そして一般に、人は愛情を注いでくれてる人の言葉なら疑わない。第三者に検証など思いもよらない。それはあることだろうと思う。
偽情報は吹き込まれた人の為になど全くなってない。
それを、七歳のジュールズの立場から教えてくれている。真実を知りたくて、それでも、周りが語ってくれなくて。ストーリーの最初から彼はその本当の願いを伝えてきていた。今さら修復なんて、という気持ちのヒロインに、親権云々の傍らに子どもにも権利があったことを気づかせる。
パパのことをずっとママが教えてくれなかった、その嘆きを口にする場面には泣かされる。正しいことを知らされてこなかった親たちも嘘の被害者であるのなら、この子もまた、何も伝えてもらえなかったという意味での、被害者なのだ。
愛の存在確認こそ子どもの究極知りたかった真実なのでは、と思わずにはいられない。その真実を炙り出したのが、子どもの行動力であるのが自然でわかりやすい。自分で確認する行為は最も強い。
嘘に翻弄されたカトリーナとアッシュがハッピーになれたことに安堵。
失われた年数が取返しのつかないのが、本当に本当にとても残念だけれど。
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