絵の個性が読み手を狭めてしまいそうで惜しい。どの国も、追われた民とやって来た民とがあり、やられたほうとやったほうがいる。正義があれば、一方でその名のもとに殺人がある。米墨国境も、分捕ったほうと割譲されたほうとあるのに、不法に移り住んだのは一
体どっちで、いや、誰が所有を語れるというのだろう。飲み込まれた側は、飲み込んだ側の「文化」に蹂躙された。
しかし、絶えてなくなりそうでも、血は流れ、スピリチュアルなものは、その体内に受け継がれているのかもしれない。存在を訴えかけてくる。
薬物捜査官であるヒロインは忠実に自分の仕事を全うしただけなのであるが、親しかった極めて有難い「友人」を巻き添えにしてしまう。組織犯罪の残党から身を隠す、という古典的対処法にて逃走中の日々がメインの話。
被抑圧サイドの人間への支配サイドからの差別意識が、ヒロイン出生と、少女時代の環境にまつわる不遇を決定的にもたらしてる。
今の人種問題は、本来北米には居なかったアフリカ系を、そもそも連れてきたのは誰ですか、という問題の根っこと不可分であるが、少数民族問題は南方等「域外からの流入」だけ見ていること自体が片手落ち。アメリカ大陸における先住民族はモンゴロイド系ネイティブの人種なのだから。収容(居留地)という迫害も起きた。
旧名ではアメリカのインド人と呼ばれた(コロンブスの勘違いに端を発する)民には数多くの部族があったはずが、今や話題にもされなくなりつつある、現代人の正義感の不思議。世界史ではどこもだれもが先祖達がやっていることだから、なんも言えない、となってしまう。
HQはロマンス物だが、この異色のHQが存在する意義は、結構大きいと思える。一神教の宗教が政治を左右している国に於いて、多神教を思わせる「いにしえの呼び声」が、現代に生きる若者を活かそう、導こうとした話を、書こうと、そしてそれがロマンスの並ぶ陳列棚の中に置かれたのか、と単純に驚く。
プリミティブな印象そのままに作画の素朴なラインが、今度は読者のマジョリティを「呼び」逃してしまっていたら、それはそれで残念。オールドワンズはストーリー中の存在で終わったので。
(この方面好きな秋乃茉莉先生作品では記憶にないが、先住民の言葉のパワーは橋本多佳子/カレン・ローズ・スミス「好きと言えなくて」、超常要素入りの橋本多佳子/ジョアン・ロス「きっとまた会える」は既読。)
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