芥川龍之介は、1921年3月から7月までの4ヶ月間、大阪毎日新聞社の海外視察員として中国を訪れ各地を訪問しました。帰国後、大阪毎日新聞に掲載された紀行文等を中心にまとめられたのが『支那游記(しなゆうき)』(改造社、1925)で、「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」「雑信一束」で構成されています。改造社版の底本は全文振り仮名の付いた「総ルビ」ですが、ITmedia 名作文庫では常用外漢字など、読みづらい文字に振られた一部のルビ以外は省略しています。
目次:
上海游記
江南游記
長江游記
北京日記抄
雑信一束
付録一 芥川氏の即興歌 薄田泣菫
付録二 芥川龍之介生前発行著書並びに収録作品一覧
著者について:
1892年3月東京市京橋区(現東京都中央区)、新原敏三の長男として生まれるが、母の実家である本所の芥川家で育てられる。12歳の時に叔父の養子となり、芥川姓となる。府立三中、一高、東京帝国大学英文科卒業。帝大在学中に、一高時代の同級生だった久米正雄、菊池寛らと「新思潮」(第三次)創刊。同誌に翻訳や小説を発表、夏目漱石の門下に入り、短編小説を中心に作家活動に入る。「羅生門」(1915)、「鼻」(1916)、「蜘蛛の糸」(1918)、「地獄変」(1918)、「杜子春」(1920)、「河童」(1927)など有名作品は多数。1927年7月没。