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安政五年四月二十三日、継嗣問題切迫の瀬戸際、疾雷耳を掩うに及ばぬ迅速をもって井伊直弼大老に就任。主眼は水戸派退治・反一橋派であり、勢い紀州派と不可分に絡む日米修好通商条約の幕府責任調印を断行。違勅面責のため登城したる慶喜・齊昭・慶恕・慶永らを罰する決意を固め、五年六月二十五日慶福継嗣を発表。七月四日将軍家定危篤、五日急遽面詰登城組の処分裁決を発表。七月六日家定死去。時局は暗転緊迫の度を加え来った。(講談社学術文庫)