現実を見ていない、といえば、身も蓋もないが、成長に沿って経済状態が良くなることは無いのに、よくカズの子を育てる気でいるなぁ、と驚く。たぶん、やっぱりソーシャルワーカー的な横槍が入って取り上げられるのでは?
大体、なんでカズさん、そんなマグ
ダが困窮するようなことしたの?、友だちだから頼むのも判らなくはないけど、友だちのことを一番に判っていたのではないのかな。安易に後を頼んで子どもが幸せになるのを見届けられないのに、妊娠出産?末期癌患者がやること?一度手術したんだよね?手術費用はあったんだ?出産費用はどうした?
施設でも、そこに入る前も、二人とも苦労したというのに、子どもは大丈夫な人生だって根拠はどこかにあった?
マグダも養育出来て働けて、という職をもしかしたら結局最後まで見つけられなかったかもしれない。養育者が倒れたら、結局意味ないのだから。ラファエッロが現れなかったら、育て上げることは無理だったとしか思えない。
無謀な毎日を、意地だけで生きても、もっと子どもが食べるようになったら学校教育にはもっとお金がかかる。
何をどう考えても、無茶な母子生活。
カズもマグダも二人共、私に言わせればある一面無責任。
人間誰だって誇りはある。しかし、トイレ掃除を、誰かがやらねばならぬのと、その職に就いている訳有り人生とは、原因と結果の点に於いて、人は判断してくるだろう。これは免れない。
ハーレクインだから成り立つ美しいハピエン。
私なぞ、妊娠が判った途端、絶対これは死ねなくなったと思った。気持ちはもう、どう成人まで無事に育てるか、一色。そして、今のご時世、いつ倒産あってもおかしくない不確実な世の中、仕事は絶対続けようと思った。よく生きることと子育ての責任感は同一のものだった。子どもが成人するまでなんとしても経済環境整備最優先の発想となる。親の責任を金銭面だけでもせめて果たしてもらおうと、子の父からは、必ず応分の負担を、絶対全うするまで求めようとも思った。
つまり、子を成す、ということは、子のための先を整備することなのではないのか?
この話、出発点が何となく受け入れがたい部分がある。しこって読み終えてしまう。
ただ、恵まれているとは言えない境遇で、地べたを這うように生きてきて、毎日を必死に生きる。そのなかでは子どもが生きる支えとなっていた、というのも、心から理解出来るのだ。
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