別の人生を歩んでる昔の最愛の人に会いに行く、どうやって姿を出すか。それも、昔の自分ではもうないのに。
でも、見たかった、会いたかった。そして出来るなら、取り戻したかった。
そんな熱い気持ちをずっと抱き続ける男性の愛。私は、彼の胸中をこち
らの胸も締め付けられる思いで読みました。だから、忘れられない彼を想って想い続けるヒロインの、純粋にひとりの人だけを愛し続ける姿もまた、胸が痛みました。
別人と思っても、まるでそこにその人がいるかのような気分になってしまうことも、無理からぬことだと思いました。いくら、頭が、別人といましめようとしてもそんな簡単に割りきれませんよね。
そして、たとえ似て非なる人であっても、きっかけがただそっくりなだけであったとしても、やっぱり惹かれていったのですよね。好きな人がいれば、どこにいてもどんなに時が経っても、その面影を探してしまう、わたしは、その胸の痛みこそが、一緒になれなかった状態の今も愛し合う姿だとして共感するので、好きな人と再び会えた喜び、そして、今度こそ、幸せになる、そこに大きな感動を覚えました。やっと時を経て彼女に会うとなったときの怖さ嬉しさ、またそのたくさんの感情を彼女の前では押し殺さなければならなかった彼に、読後涙が止まらなかったです。
時がとまってしまった二人の時を返してくれたお話です。
養父、余命少ない血の繋がらない妹のこと、事故のこと。数々のトラブルはどれも、愛し合った男女を引き離すほどのことだったと私は思ってたのですが、そう読まない人もいることを知りました。
何があっても、どんな困難があっても、どれほど年月がかかろうとも、好きな相手のところに戻ってきた。それほどまでの相手に巡り会った二人の人生に私は思いめぐらして、相当感動してたのですが!
人の感じ方ってこうもそれぞれなのだなぁとむしろ驚きなのです。
邦題タイトル付けも秀逸です。
絵柄も私は大好きなのです。眼と顔が。
そもそも、わたなべまさこ先生から、男性もの不案内の私に例外的には手塚治虫巨匠に至るまで、時代時代の絵柄を楽しめてしまう為、古いことが低評価理由にできない私にはその低評価も意外。
私は、最近なら、桜小路かのこ先生も、南塔子先生も、椎名橙先生天乃忍先生も、たくさん買って堪能してますよ。
絵の新しさ古さへのこだわりはないのです。もちろん、時代は判りますけどね。
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