テレビに出てた俳優を好きになった幼稚園時代を思い出す。娘も四十代の男性を保育園時代に好きになったし。ただ、相手もそう思えるかというのは、可能性なんて無い。お年頃の片想いさえも多くは成就に至らぬのが世の中では普遍的なのに、この大きな年齢差は輪
を掛けて絶望的。
しかし、このストーリーは、その見込みのなさに挑戦的だ。
大きな年齢差は、相手に未成熟を見出だす。実際に保護者役を社会的に期待される。この展開は、くらもちふさこ先生の「海の天辺」内の女子中学生と教師の会話を思い出す。未成年とはそう言うことなのだから。これは逃げようのないこと。
しかし、つい最近まで、全部ではないが世の中では夫が妻の学校でいうところの保護者、のような側面があった。
兎に角、年頃になっても好きなままだった。これで成立。この話は始まりに相当な衝撃を感じるが、好きになっちゃったものはどうしようもない、そんな事を納得させられるよう、或る意味感情を剥き出しにする場面は専ら恋愛以外。深く潜行させて読者にも隙を見せずに、日常が何年も積み重なっていく。
このストーリーは、少女の描かれ方に少女臭さを、意図的にか強く出して、どうしようもない年齢較差を残酷に最後まで見せつける。
どの時点で彼は踏み越えたか明確に描写される。読者のこちらよりも、登場人物の大人男性の方がうろたえる。本人のパニックぶりが、彼のキャラをよく映し出し、よくも悪くも二人の関係に波紋が入る。この辺りまで、実に長い助走期間があり、これ以降とは時の経過スピード感がまるで違う。
複雑で幸せとは言えない家庭環境で孤独な少女時代を送った女の子には、彼は代えがたい家族でもある。
しかし、その男性を好ましいと思わない限り、家の中に上がれない。他人で、大人で、男の人だから。遥が、終始、「真一さん」と呼んでいて、おじさんとは言っていないところに、一個の人間として向き合いたい気持ちが充分出ている。
彼が出会いの時に、女の子の目のなかに女性の片鱗を見出だす、というのも、後年動き出す感情の種を撒いておく重要な場面で、結構他作品では刺激的な描写されるチカ先生の手による、男女の機微の本質の見せ場として存在感がある。このシーン、遥が、もう少し絵柄に多くを語る感じがあると前半部インパクト出たのでは、という気がしてならない。
ストイックに関係を育んだ点が物語として成功した。
もっとみる▼