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平成五、六年は谷川浩司にとって厳しい年だった。王将戦はからくも防衛を果たしたが棋聖戦前期、王座戦、棋聖戦後期とすべて羽生善治に敗れ一冠に転落してしまう。
羽生との名人戦挑戦者決定戦にも敗れ、その日は担当記者と井上六段(当時)を連れて明け方まで飲み明かしたという。
平成六年、六冠王になった羽生がついに最後のタイトル、王将を取りに来る。
第1局、谷川先勝。そこで未曽有の大災害が起こった。平成7年1月17日5時46分、阪神淡路大震災である。
1月20日に関西将棋会館の対局室に座ったとき、谷川は純粋に将棋を指せる喜びをかみしめたという。
その後フルセットまでもつれこんだ第44期王将戦七番勝負、その最終局が千日手になった。ドラマでもここまで書けないであろう展開だ。
七冠か、防衛か。
最後の戦いを制したのは、谷川だった。