本書では、あくまで史料に即して大隈の活動を「検証」することを目指した。その際、大隈と政治的に対立していた人物の史料や、出所の怪しい密偵情報などはなるべく使用を避け、使用する際にはしっかりとした史料批判を経て使用するように心がけた。その上で、本書では、大隈の日本近代史における軌跡を、その挫折や失敗、負の部分までをも含めて明らかにしていきたい。というのも、大隈の栄光だけでなく、そうした挫折や負の部分のなかに、現在の我々にとって新たな発見をもたらしうる材料が含まれていると信じるからである。現代社会のあり方や我々の生き様につながる何かを、本書のなかから見つけていただければ幸いである。(はじめにより抜粋)
第一章 近代西洋との遭遇――佐賀藩士・大隈八太郎
第二章 近代国家日本の設計―明治新政府での活動
第三章 「立憲の政は政党の政なり」―明治一四年の政変
第四章 漸進主義路線のゆくえ-立憲改進党結成から条約改正交渉まで
第五章 理念と権力のはざまで―初期議会期の政党指導
第六章 政党指導の混迷―第一次内閣以後の政党指導
第七章 日本の世界的使命―東西文明調和論と人生一二五歳説
第八章 世界大戦の風雲のなかで―第二次大隈内閣の施政
第九章 晩年の大隈重信―国民による政治と世界平和を求めて
おわりに―歴史の「大勢」のなかで
会計検査院と統計院
『法令公布日誌』発行計画
井上・伊藤の議会開設構想
大隈の憲法意見書
政府主導の政党政治
大隈意見書への反応
井上毅の暗躍
大隈に陰謀があったか
開拓使官有物払下げ事件
掘り返される過去の「失敗」
退職勧告
民権運動と藩閥政府のはざまで
大隈の「不幸」と「失敗」
第四章 漸進主義路線のゆくえ-立憲改進党結成から条約改正交渉まで
「第三の道」のゆくえ
洋行の風評
立憲改進党の結党
改進党の政治綱領
明治会堂大演説会における政綱解説
改進党内の勢力構造
東京専門学校の設立
外国の学問からの独立
政治権力からの学問の独立
政府による弾圧と鍋島家からの後援
自由党との関係
改進党の地方への発展
黒田清隆との接近
甲申政変への対応
改進党員と政府要人の接近
改進党解党問題
大隈の脱党
大隈の資金繰り
大同団結運動
外相就任交渉
伊藤博文の芝居
条約改正の方針
世論の沸騰
条約改正時の改進党の団結力の強さ
閣内での反対意見と交渉の頓挫
遭難後の改進党と政府
憲法発布と大隈
超然主義か政党内閣か
民意の反撥のなかで
第五章 理念と権力のはざまで―初期議会期の政党指導
苦境のなかでの議会開設
矢野竜渓の政界引退
条約改正による打撃
進歩党合同問題
民党連合路線
第一議会の予算審議
予算案に対する大隈の意見
板垣との接近と枢密顧問官辞任
第二議会の解散と選挙干渉
第三議会
第四議会と民党連合破綻の兆し
「責任内閣」の主張
条約励行路線の採択
第五議会
日清開戦
日清戦争と大隈
母の死
日清戦後経営論
日清戦後の政局
進歩党の結成
公衆の面前へ
松方との接近
入閣交渉
二十六世紀事件
第一〇議会
新聞紙条例改正と金本位制施行
農商務大臣兼任
勅任参事官設置問題
松隈内閣倒れる
早稲田での初演説
第三次伊藤内閣
憲政党の結党
隈板内閣の成立
政党内閣の誕生
第六章 政党指導の混迷―第一次内閣以後の政党指導
政党内閣の失敗と長い混迷の時代
隈板内閣の組閣
内閣の方針
過大な猟官要求とのせめぎ合い
第六回衆議院議員総選挙
尾崎文相の「共和演説」事件
予算の策定
行政整理
文相後任問題
解党と再編
支那保全論の提唱と康有為・梁啓超の保護
第二次山県内閣と地租増徴問題
山県内閣による文官任用令の改正
義和団事件と「支那保全論」
清国人教育への貢献
立憲政友会結成と尾崎行雄脱党も問題
総理就任
増税問題をめぐる分裂
桂太郎内閣の成立と憲政本党
大隈邸の火災と資金難
新築された大隈邸と台所
温室
大隈の園芸趣味
早稲田大学の開校
「私立」へのこだわり
日本女子大学校への援助
第七回・第八回総選挙
伊藤と桂の接近
憲政本党の苦衷
党幹部による政党指導
日露開戦論の高揚
奉答文事件と日露開戦
桂と政友会との接近
ポーツマス条約と大隈
「支那保全論」の継続
西園寺内閣の成立と大隈
大隈排斥運動の発生
改革派による党内「民主化」の提案
大隈の敗北と積極主義の採用
大隈の「告別演説」
「国民」に立脚して
「政治は我輩の生命である」
大隈・憲政本党不振の背景
二大政党か一大政党か
「民衆政治家」としての再出発
多事争論からの公論形成
第七章 日本の世界的使命―東西文明調和論と人生一二五歳説
党首引退後の活動
「文明運動」とは何か
日露戦争と『開国五十年史』編纂の開始
『開国五十年史』の出版とその結論
『国民読本』の刊行
天皇の権威と国民の権利
国民教育への邁進
なぜ国民教育か
同仁会
同仁会への国庫補助を求めて
『日本百科大辞典』編纂総裁
国書刊行会総裁
文芸協会
日印協会
外国人との交流
大日本文明協会
南極探検の後援
日本自動車倶楽部会長
帝国飛行協会会長
大日本平和協会会長
帝国軍人後援会会長
軍事知識の普及
弱者への目線
スポーツの振興と大隈
雑誌『新日本』の発刊
人生一二五歳説の提唱
怒らない大隈
永遠の青年として
大隈の生活
大隈の読書
旺盛な講演と談話
憲政本党の紛擾と仲介
伊藤博文の死
辛亥革命への態度
孫文との関係
辛亥革命後の中国情勢と大隈
兗州・漢口・南京事件と世論の沸騰
文明論の陥穽
憲政擁護運動の勃発と「中心勢力移動論」の提唱
護憲運動への批判
桂内閣への好評価
桂新党への賛同
桂の政治指導への期待
文明運動時代の大隈
「民意」への批判
大隈発言の真意
第八章 世界大戦の風雲のなかで―第二次大隈内閣の施政
「薩長劇より国民劇へ」
大隈推薦の経緯
元老との交渉
組閣と内閣の顔ぶれ
内閣成立に対する反応
政綱発表と財政整理
絶対的非募債政策
減債基金振替による鉄道改修
地方官の更迭
臨時議会の開催
第一次大戦の勃発と参戦問題
元老との亀裂
加藤と大隈
国定教科書批判と第三期国定教科書
第三五帝国議会
総選挙
大隈伯後援会
選挙の取締り
与党の大勝利と課題
第三六特別議会
二十一箇条要求の内容
大隈と二十一箇条要求
二十一箇条要求に対する元老山県からの批判
二十一箇条要求に対する野党からの批判
参政官・副参政官の設置
大浦事件
留任と内閣改造
袁世凱帝政延期勧告
大正天皇即位大礼と第三七議会
減債基金還元問題
山県有朋による調停
簡易保険制度ならびに理研の創設
加藤内閣成立運動
日露協約の締結
寺内・加藤連立工作
三派合同運動
大正天皇に賭ける
民意と統治のはざまで
第九章 晩年の大隈重信―国民による政治と世界平和を求めて
大隈の二つの目標
大隈は「元老」か?
第一三回総選挙と大隈
政党批判
国民教育の継続
『大観』発行
早稲田騒動と一時的危篤
軽井沢別荘
寺内内閣倒壊に伴う御下問
原敬内閣の誕生と第一次世界大戦の講和
「東西文明の調和」の探究
英国労働党政策提言書での言及
東西文明論の研究
時事問題研究会
国際聯盟への態度
驕慢なる日本人を戒める
自己反省なき平和論
デモクラシーの勝利と階層的分断の深刻化
国民への期待
「教化的国家論」の提唱
「教化的国家論」と軍縮
平和への楽観
対外政策批判
日本人への期待
元老権力の行使
山県との接近
山県との面会
病に斃れる
摂政就任御沙汰書
国民葬の挙行
おわりに―歴史の「大勢」のなかで