誰かと将来を共にするお約束の婚約。
婚約者いる身で好きな人が別にできてしまうストーリーは、なぜこんなにポピュラーな設定なのか。
自分の意思で決めたことでも、何かが違う、という感覚が、新しい人の出現を皮切りに膨らみ出す。
結婚もお約束の
ひとつ。好きになる人が、一体いつ出現するか先の人生は誰にもわからない。
そして公然とした区切りとして認められている制度も、出逢ってしまった二人を引き戻すことは出来ない。人を好きになる気持ちは、容易に抑制をかけられるものでなく、フリーな状況でないなら一旦気づいた感情を辛くても抱えていかなければならない。相手に婚約まで行っている人があろうと、または、自分が婚約してようとも。いけないこととか、べきでない、とか、道徳面では、心の中は非難される状況も、恋愛の本質がそこにあるから、人はこの類のストーリーに吸い込まれるのだと思う。
身体が、好きな人には、頭とは別のメカニズムで反応してしまう。
存在が圧倒的に大きくなっていき、心が動かされ言動を反芻してしまい、居ても居なくても揺さぶられてしまう。止められない。互いに抗いがたいものが内面に育ってしまう。
ストーリー、男性視点でヒロインをいかに気に入ったか描写し、また、男性もちょっかいを出した後の責任をハーレクインのルールに則って片付けている。
シビアなものを排除して、恋愛感情の甘さでくるまれているが、人を好きになるということの普遍の原則で行くドラマだ。
佐柄先生の細やかな絵が、ロマンスを美しく仕立てて、互いの目に映る相手への好ましさが表れているように、メインキャラは互いに落ちるべくして落ちた説得力を感じる。
「最初に会った時の僕を覚えているかい?」「あれが本当の僕だよ」
その本当の僕、というのをヒロインはいい印象がない。しかしこれが原題に繋がる。
私には、ひかれ合いながらも相互の障壁を前に、すんなり乗り越えることがなかなかできなかった、二人の状態を想像させる邦題のほうが、コミック内容とイメージが近い。
男性はスーツ3割増しの恋愛格言があるのだから、休日の顔を先に見れて良かったのかも。
佐柄先生の絵柄が酷評されてたりするのを見かけるが、星一個二個だなんて激し過ぎる。そんな漫画家ではないと私は思う。この広い電子書籍で酷い作家は大勢跋扈してる。そういうのが該当のケース。
私は応援してるので負けないで。
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