“チェンソーの悪魔”を身に宿した少年・デンジが、公安所属のデビルハンターとして活躍するさまを描いた「チェンソーマン」。アクションたっぷり、予想外の展開たっぷりと国内外で人気を博する同作だが、一方で、破滅に導く“ファム・ファタール”的な女性にデンジが惑わされていく様子もファンを楽しませている。
中でも彼が偶然出会った少女・レゼが登場する「レゼ篇」は、作中屈指の人気を誇るエピソード。映画化を果たし、9月19日に全国公開された。本コラムではレゼを筆頭に、デンジを狂わせる“ヤバい女”たちの言動を、ファム・ファタールという概念を通して振り返りつつ、「レゼ篇」の魅力を深堀りしていく。なお本コラムでは「レゼ篇」の物語の展開に触れる部分があるため、映画鑑賞後に読むことをオススメする。
文 / ひらりさ
“ヤバい女”は好きですか?
質問です。
“ヤバい女”は好きですか?
“ヤバい女”に振り回されて人生めちゃくちゃにされたい……と思ったことはありますか?
「チェンソーマン」や藤本タツキ作品に触れたことがあるあなたは「もちろん!」と答えることでしょう。そうではないあなたも……この記事が気になったならば素質があります! 藤本タツキの描く“ヤバい女”に入門する、絶好のチャンスがやってきました。それは、「チェンソーマン」の中でも絶大な人気を誇る「レゼ篇」の劇場版公開です。
藤本タツキの描く女が大好きな私もさっそく鑑賞したのですが……最高でした。米津玄師と宇多田ヒカルによるエンディング・テーマ「JANE DOE」が帰宅中もリフレイン。原作を徹夜で読み返し、そのままのテンションでこの文章を書いています。
本コラムでは「チェンソーマン」という作品を、デンジが惹かれた女たち──いわゆる“ファム・ファタール(破滅させる女)”とも言える魅力をもった彼女たちの“ヤバさ”に着目しながらご紹介します。
「チェンソーマン」にまっすぐなヒロイン、まったく存在しないな
「少年マンガ」と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか。友情、努力、勝利のためまっすぐにがんばるヒーロー。それを支える仲間たちと健気なヒロイン。歴史が積み重なる中でヒーロー像は多様化し、ヒロインにもバリエーションが生まれています。近年はヒーローの後ろで守られているのではなく、共闘するヒロイン、ヒーローよりも強いヒロインも目立ちます。とはいえ根本としては、まっすぐな女子が多い印象。
では「チェンソーマン」はというと……一般的に言うまっすぐなヒロイン、まったく存在しないな。何考えているかわからない女が多すぎる。思惑を隠して近づき、デンジの人生をかきみだしていく女たちをヒロインと呼んでもいいものだろうか。辞書で「ヒロイン」を調べると「良い性質を備えている」「読者・観客が共感することを想定されている」的なことが書いてあるもん! ヒロイン、不在すぎる。
嘘つきで人間差別主義で暴力的な(しかもトイレを流さない!)血の魔人・パワー。
酔うとキス魔になる(しかもデンジにはベロチューと見せかけてゲロを流し込んできた)公安対魔特異4課所属のデビルハンター・姫野。
常におどおどしており小動物のようだが生き延びるためなら誰よりも手段を選ばない(し率先してデンジを殺そうとする)、公安対魔特異4課所属のデビルハンター・東山コベニ。
とにかくパンチの効いた女ばかりが登場する「チェンソーマン」には、心安らがせてくれるヒロインが皆無!? デンジが求めた“普通の生活”はどこへ!? 次はどんな悪魔が登場するのか以上に、次はどんな“ヤバい女”が襲来するのかにハラハラさせられ通しです。
幼い頃に両親を失い、1匹と1人きりで生き延びてきたデンジには、恋の経験も女を見る目も皆無。ただ「自分に関心を持ってくれる」や「顔がいい」だけで振り回されてしまうのでした。不憫!
こうした女たちをヒロインと呼ぶことはできないけれど……“ファム・ファタール”という解釈はできそうです。恋心を寄せた男を破滅させるために、まるで運命が送り届けたかのような魅力を備えた女のことを指す概念です。古くは、イエス・キリストに洗礼を授けた預言者ヨハネに愛を拒まれ、斬首した首に口づけた王女サロメなどが、ファム・ファタールの原型とされています。人類、太古の昔からファム・ファタールが好きだな。
いきなりハグしてくれる女はヤバい
そんな「チェンソーマン」のヤバい女=ファム・ファタール筆頭といえば?
そう、マキマです。
チェンソーマンとして覚醒した当初のデンジを見出し、自分が率いる公安対魔特異4課へと引き入れるのが彼女です。
「私はゾンビの悪魔を殺しに来た公安のデビルハンターなんだ」
「キミの選択肢は二つ 悪魔として私に殺されるか 人として私に飼われるか」
原作1話を読み返しましたが、最初からクライマックスにヤバいですね、この女。
さらにヤバかったのは登場4ページ目にして、「抱かせて……」と言いながら倒れるデンジを抱きしめたこと。その後人の姿に戻ったデンジは、彼女に「飼われる」ことを決めます。1話時点のデンジの人生が底辺すぎたため素敵な未来が待っているかと我々も錯覚しかけましたが……彼を襲うのは、努力しても友情を築いても勝利しても、すぐに悪魔に奪われていく、ハードモードな日々。やっぱり、いきなりハグしてくれる女(とその女が率いる組織)が与える環境がまともなわけがなかった! 皆さんも、いきなりハグしてくれる女には気をつけましょう。
ちなみに「レゼ篇」にはマキマがデンジを映画デートに誘うエピソードがあり、そこでマキマが映画好きであることが明かされます。“無類のコンテンツフリークであるがゆえに、主人公をエンパワーする人物”というのは、「ルックバック」「さよなら絵梨」「ファイアパンチ」といった藤本タツキの他作品にも必ず出てくる存在です。ニッチすぎる!と思いつつ、「いや……こういう女好きだったな」という、自分でも知らなかった癖(へき)を発見させられました。藤本タツキ、読者の癖(へき)の開発がうますぎる。
「チェンソーマン」に純度100%の好意はありうる……?
そんなふうにデンジと読者の心をつかんで離さない、絶対的ファム・ファタールことマキマですが……彼女の統治を大きく揺るがす存在が現れます。それがレゼ。レゼとデンジの過ごしたひと夏を描くのが「レゼ篇」です。
マキマとの初デートで、「俺の心はマキマさんのものだ」と再確認したデンジ。レゼは、デートの余韻に浸っているデンジが急な雨に降られて電話ボックスで雨宿りをしているときに現れます。後から滑り込んできた彼女は、デンジの顔を見て「死んだウチの犬に似ていて…」と笑い泣きます。戸惑いながらも、さっき飲み込んでいたガーベラの花を口から吐き出す一発芸(?)を見せるデンジ。花をもらってはにかむレゼの笑顔を正面から見たデンジは、彼女に心奪われます。
「私この先の二道(ふたみち)ってカフェでバイトしてるの 来てくれたらこのお礼してあげる」
満を持してのヒロイン登場に思える、「レゼ篇」のはじまり。もしかしたらついに、清く正しいボーイミーツガールが始まるのでしょうか。
「やたら触ってくるし 俺に笑ってくれるし もしかしてこの娘 俺のコト好きなんじゃねえ…?」
「確定で俺のコト好きじゃん」
「マキマさん助けて 俺この娘好きになっちまう」
マキマへの忠誠心を守ろうとしつつも、デンジは、積極的に自分にかかわり境遇を心配してくれるレゼに速攻で心ほだされていきます。
デンジの恐れに応えるように、レゼとデンジの甘酸っぱい時間は続きます。レゼのバイトするカフェで一緒に勉強をする2人、学校に行ったことがないと言うデンジを夜の校舎に誘うレゼ、誰もいない夜のプールで裸になりデンジに泳ぎを教えるレゼ。
「教えてあげる! デンジ君の知らない事 できない事 私が全部教えてあげる」
こんな純度100パーセントの好意があっていいのか……? そんなこと、「チェンソーマン」にあるのか……?
レゼとデンジの過ごす時間は、まさにデンジが求めていた“普通の生活”そのもの。やっぱりレゼこそが遅れてやってきたヒロインなのかも? レゼの登場により「チェンソーマン」の、青春ラブコメとしての第2幕があがったのかも? ボーイミーツガールあるある、デンジがレゼのために全力疾走するシーンが見られるのか?
ここからでもボーイミーツガールに……なれるわけがなかった
しかし、デンジは普通の少年ではありません。夜の学校に忍び込んだ彼らを、台風の悪魔と契約しチェンソーの心臓を狙う男が追ってきます。かつて、ターゲットの妻と娘の皮を剥いで本人を絶望させることで殺させると豪語するその男は、デンジではなく、レゼをロックオン。1人になったレゼを追いかけ、屋上へと追い詰めます。
「ポチタ…好きな人が二人できちまったよ 誰だと思う…?」
(色ボケ中の)デンジはレゼの絶体絶命の状況に気づきません。このままレゼは男の手にかかるのか、それともデンジの助けが入るのか?
物語は一気に、青春ラブコメからホラーサスペンスへと転換した……!?と思いきや、さらにもう一ツイストします。ナイフを持って襲いかかってきた男にレゼが飛びつき、素手で首の骨を折って殺すのです。やはりデンジのことを好きになる女の子が、普通のわけがなかった!
デンジのいる教室に戻ったレゼは、屋上での惨劇などなかったようにデンジを夏祭りに誘い、花火の見える高台でデンジに告白します。
「仕事やめて………私と一緒に逃げない?」
「知り合いに頼めば絶対に公安から見つからない場所があるの そこだったら……すぐは無理でもいつか一緒に学校いけるよ」
「だって私…デンジくんが好きだから」
ここからでもボーイミーツガールに戻れる保険に入っていたんですか!? 本当に信じていいんですか!?
読者の混乱と裏腹に、デンジが出す答えは……NO。デンジのなかではマキマだけでなく、先輩・早川アキと、バディであるパワーの存在が大きくなっていました。レゼの提示する“普通の幸せ”に代えられないほどに。
そんなデンジを「私の他に好きな人いるでしょ」と看破し、彼の舌を噛み切るレゼ。自分も普通ではないことを(広義の)キスで明かしたレゼはデンジを狙う刺客へと転じ、デンジは(レゼから逃げるために)命を賭けた全力疾走に追い込まれるのでした。
ある種、デンジも“オム・ファタール(運命の男)”
やはり藤本タツキが“普通の”ボーイミーツガールを描くわけがなかった。甘酸っぱさに比例して、デンジがとんでもないツケを払うことになる「レゼ篇」。その顛末はぜひ映画で目撃してください。
マキマに対立するファム・ファタールとして登場するレゼ。彼女の面白さ(怖さ?)は、マキマのように支配や権力でデンジを縛るのではなく、彼が一番欲しがっていた“普通の幸せ”を差し出す点にあります。学校、勉強、プール、デート。どれもデンジが想像しかしたことがなかった、当たり前の日常。出会いの時点からデンジの力を求めていたマキマに対して、彼女は「デンジ君みたいな面白い人、はじめて」と笑うのです。恋愛偏差値ゼロのデンジが太刀打ちできるわけがありません。
抗えない幸福をちらつかせてくるレゼ。しかしデンジは、彼女の「逃げよう」という誘いに乗りませんでした。ここに、ただ振り回されているだけではない、デンジという少年の芯があります。
ここまで、女性キャラクターたちにフォーカスしてそのヤバさと破滅性を強調してきました。でもよく考えたら、デンジも相当ヤバいですよね。公安であれだけひどい目に遭ってるのに「だんだん楽しくなってきてんだ、今……」と言って、レゼの誘いを断るなんて。「チェンソーマン」全体で一番何をしでかすかわからないのは、実はデンジなのです。
出会ったその瞬間からデンジに好意を示し続けていたレゼですが、このとき初めて、デンジの本質に触れ、思い通りにならなさに執着を抱いたのではないでしょうか。執着とは、愛の別名。ここから、デンジの全力逃走が始まるとともに、レゼもデンジに、本気を出さざるを得なくなるのです。ある意味、レゼがデンジに振り回されるターンの始まり。デンジがレゼの“オム・ファタール(運命の男)”だったという解釈もできるでしょう。
ファム・ファタールは、男性の欲望を反映した女性像として発展してきた概念です。正直、彼女たちがただデンジを“振り回し”、“破滅させる”ために用意された「装置」だったら、藤本タツキ作品はここまで魅力的ではないように思います。
「チェンソーマン」のいいところは、女たちもまた、デンジの予定破壊性や、単細胞すぎて何をしでかすかわからない点に振り回され、のっぴきならない状況に追い込まれることです。彼女たちもまた破滅しうる側だからこそ、人間的な側面があらわれて愛しく思える(いや、人間ではないキャラクターも多いけど……)。ただの客体的ヒロインではないから、いきいきしているのです。
「この女がヤバい 2025」は、レゼ(CV:上田麗奈)で決まり
「チェンソーマン」原作は現在、少年ジャンプ+で第2部を連載中。デンジは引き続き、さまざまな“ヤバい女”と遭遇しています。
劇場版「チェンソーマン レゼ篇」は、そのエッセンスをスクリーンに封じ込めた作品です。ファム・ファタールに振り回され、振り回し返す快楽。デートムービーにぴったりですね。
レゼ役は「タコピーの原罪」の主人公しずか、「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」のギギ・アンダルシアなど、一筋縄ではいかない女たちを演じてきた上田麗奈。透明感があって中性的な声色に、ふとした瞬間の妖しさや狂気をちりばめて、レゼに命を吹き込んでいました。これは「マキマさん助けて 俺この娘好きになっちまう」になりますね……。
2025年、スクリーンで最も輝く“ヤバい女”は間違いなくレゼ。彼女の笑顔に、声に、そして破滅に、心を持っていかれてください。
劇場版「チェンソーマン レゼ篇」
藤本タツキのマンガ「チェンソーマン」を原作に、作中屈指の人気エピソード「レゼ篇」を映像化。悪魔の心臓を持つ“チェンソーマン”となり、デビルハンターとして活躍する少年・デンジが、偶然出会ったミステリアスな少女・レゼに翻弄されながら、予測不能な運命へと突き進んでいく。デンジ役は戸谷菊之介、マキマ役は楠木ともり、レゼ役は上田麗奈が演じる。監督は𠮷原達矢、脚本は瀬古浩司、キャラクターデザインは杉山和隆、音楽は牛尾憲輔が担当。制作はMAPPAが手がける。主題歌には米津玄師「IRIS OUT(アイリスアウト)」、エンディング・テーマには米津玄師×宇多田ヒカルの「JANE DOE(ジェーン ドウ)」、挿入歌にはマキシマム ザ ホルモン「刃渡り2億センチ(全体推定 70%解禁edit)」が使用される。
(c) 2025 MAPPA/チェンソーマンプロジェクト (c)藤本タツキ/集英社
(コミックナタリー)