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投稿者:シーモア島システム
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投稿者: **
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ベルセルクの記事を読んだ時は感極まって涙が出ましたが私はベルセルクを読んだことがなく亡くなった作家に対する熱い思いと意志を継ぐ人が現れたことに感動しただけかも知れません。
続きを書(描)く人って賛否両論あるので大変だと思います。精神的負担にならなければいいなと思います。
アニメなどはアニメオリジナルがあっても絵や話が繋がっていれば大丈夫だったり
思い入れがある無しでも熱量が違うので一概には言えないですが
亡くなったことを公表したなら その話は未完で終わり。続きではなく絵や話が違っていても受け入れられるアンソロジーみたいなのが出ると嬉しいです。
投稿者: romance2
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【二つ目の投稿となります。】
本日テレビで、AIと漫画の作者が亡くなられた後の続きを別の人が作る事について問うた番組があり、福本伸行先生が、自分の死後なら、作られるということは自分の作品が広がってくれることになるので構わない、と、仰ってました。
https://www.cmoa.jp/title/10938/
作り手のお一人のお気持ちとして、ご参考まで(もちろん、いろいろな考え方あるうちのおひとつと思っています)。
作った先生のY/Nの判る意見表明がなされている場合は、それがその作品へ愛がある人の原作の事を尊重した姿勢を持ってる手によるならば、私は構わない気がします。
投稿者: ぴひこ
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昔、手塚治虫先生の、
『ルードウィヒ・B』
https://www.cmoa.jp/title/102814/
を、未完と知らずに読んでしまった時のことを思い出しました。
続きは…?!といくら求めても、手塚先生が結末を天国に持って行かれてしまった。
もし誰かが続きを描いても、自分は別の作品として捉えるだろうなぁ、と思ったのです。
例えば手塚治虫先生の『ブラックジャック』、AIによって新作が作られたとのニュースは記憶に新しいです。
これはあくまでもAIの可能性という観点から立ち上げられたプロジェクト。
企画の時点で既に手塚治虫作品とは言えないと思うのですが、作品は読んでみたいな、とは思いました。
手塚治虫先生も、面白がりそうだな、とも。
でも、そうですね、『ブラックジャック』は完結しているからこそ、別作品として楽しめるのかもしれません。
結論…
未完の作品の続きを誰かに描いてほしいとは思わない。
でも、誰かが描いた続きがあれば読むかもしれない。ただし「別物」として。
でしょうか。
投稿者: =ΦωΦ=
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ん~難しい問題ですよね。
例えば、続きはこうする予定みたいなものを作家さんが残されていて、それをきちんと銘打って発表するならいいと思います。
後は、原作ノベルズが途中になってしまったのをコミカライズは続けるというのは、またありだと思うのです。コミカライズで原作ノベルズの設定変えたりしている作品もあるので。
ただ、ノベルの続きを勝手に違う誰かが書くのは、私は読まない。同じくコミックの続きを勝手に描くのも読まない。プロダクション形式で続くのは問題無い。ゴルゴ13も問題ありません。
和田慎二先生のように、シリーズ物が途中なのはもう諦めるしか無いです。最後はこう終わる的な構想がどこかにあったならそれを近しい方が描くのはいいですけど。超少女明日香が最後どうなるかだけは知りたかった……。
投稿者: Free。
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先生の作画を真似て別の作家様なり或いは他のどなたかが続きをお描きになる事は可能だとは思います。
しかしながら、ひとの秘めたる心の内というのでしょうか、先生がその作品に込められた情熱、どんな結末を迎えたかったのか…それらに関しては結局のところ作家様ご本人にしかわかりません。
あるBLの作者様が2007年に他界されました。1巻の5話まで描かれ、その後は未完のまま完結となりました。エロティシズムに溢れる衝撃的な作品であるだけに続きが無性に気になったのは事実でもありますが、読者の想像に委ねられたまま、未完の大作(遺作)として今でも尚ファンの心の中にその美しい記憶のまま蘇っております。
先生はどんな結末を考えていたんだろうなぁ。
と思う事があります。
ハピエン⁇ メリバ⁇ 未完だからこ永遠に思い出に残り語り継がれるのもそれはそれで良しだと思います。
投稿者: romance2
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誰かに、の、誰か、が大きく左右することもあると思います。
スタッフさん達の生活がかかっているプロダクションの場合、組織の存続、雇用確保の問題です。率いていた先生の考え方や作風などをDNAみたいに組織的に共有出来ているなら、違和感の極小化を図れると思います。
実際、知的財産管理以外に道を探る集団はあるし、「ゴルゴ13」継続は先生ご自身の生前のご希望であった、とされています。私は、その作品の読者ではありませんから、熱い読者の受け止めようはわかりませんが、一巻完結のハーレクインコミックで、故和澄ふさこ先生作品「踏みにじられた初恋」という例があります。プロダクション形式ほどのことはなく、最後まで筆を持っていた遺志を継いで完結させなくてはと、スタッフさん達が立ち上がったようです。原作ありきの漫画化であり、一巻完結は連続物とは全く趣違いますけど、他作品を読んだ記憶に照らし、違和感に戸惑うことは小さかったですし、バランスある作品だったと感じています。
何より「打ち切り」の無念な現実に遇う作品もあるわけですし。
高校時代国語の作文の宿題にあって、先生からはもっと続きを読みたいとのコメントが帰ってきましたが、文体のみならず、語彙、人物を徹頭徹尾真似るのがキモだったかと想像しています。
漫画は絵が必須なのでどれ程似せてもハードル高い為、人物だけは先生方ご自身の手になることが多い現状からも、再現度に尚疑問点が付くことは結構多いとは思います。もっとも、漫画家の先生方の中には、過去作品のブランクを経ての作画が残念なケース散見しますので、又は長期連載の為に人物のみならず初期とはすっかり絵柄自体が変わることも珍しくないので、厳密な継承を読者として諦められればいいんですけどね。
今はアニメ化作品の原作への忠実性やキャラの同一人物感に厳しい目が注がれますけど、うん十年前は、アニメ側の自己主張激しく、別物と見なくてはと諦めたことも(そもそも声もアレ?、とはなりがち)。
トリビュート物を見ても、既に自分の絵を確立されている有名作家は別フィルターが入ってます。それはそれで面白いのですが、続きを描くのはそうした、色が付いてない方にお任せするほうが無難と思います。
例えば、続きの公募などして賛同を得たストーリーを、亡くなられた先生の絵を生き写し出来る技能の持ち主が作画担当されれば許容範囲、と思います。