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中上健次 電子全集1 『紀州熊野サーガ1 竹原秋幸三部作』
21巻配信中

中上健次 電子全集1 『紀州熊野サーガ1 竹原秋幸三部作』

1,946pt/2,140円(税込)

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作品内容

熊野の風土と溶け合い、肉体労働に至福の時を過ごす「路地」の私生児・竹原秋幸を主人公とする『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』の三部作。その幕開き『岬』で、戦後生まれの作家として最初の芥川賞作家となった中上健次は、そこに停滞することなく、織田信長に反旗を翻した一向宗団の頭目・浜村孫一の伝説を携えて「路地」に流れ着いた秋幸の実父・浜村龍造を『枯木灘』で造型する。成り上がり者のこの男の視線を強く意識しながら、再婚した母と別宅で暮らす秋幸は、血を分けた妹との近親相姦を実父に告白、予期に反して鷹揚にそれを受け流す龍造にはぐらかされた彼は、やがてその後継と目される異母弟の殺害に及ぶ。『覇王の七日』は、この息子を失った龍造が、失意のうちに自宅の一室に引きこもった、『枯木灘』の後日譚。『地の果て 至上の時』に至り、出獄の後に龍造に接近し父殺しの機会を窺う秋幸に対し、龍造は義父・実母らのいる実家に寄り付かない実子を庇護するうちに、二人は敵意と親密さの入り交じった特異な父子関係を築いてゆく。やがて不意打ちのようにやって来る龍造の自殺。秋幸は最早、再開発の波にさらされた「路地」に踏みとどまるべき理由を失っていた。
秋幸三部作は、われわれの文学の「現在」を規定し、「未来」を画定し、「過去」を裁定する格好のテクストとして、いま、ここにある。

また特別寄稿として、長女・紀の「回想録 家族の道端」(1)、「編集担当者だけが知っている中上健次」(1)を掲載。

付録:「中上健次写真館」(1)、生原稿や構想メモ、紀州サーガ登場人物関係図などの「特別資料」(1)

【ご注意】※立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
※この作品にはカラー写真が含まれます。

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作品ラインナップ  21巻まで配信中!

  • 中上健次 電子全集11 『韓国・アジア篇』

    1,946pt/2,140円(税込)

    韓国の熱気に魅了され、その「路地」に「発情した」中上の韓国ほかアジア関連小説、エッセイ、対談を一挙掲載。

    『物語ソウル』は荒木経惟とのコラボ作品。写真は全てソウル市街を撮ったモノクロ。蒸発した夫を探しにソウルに出てきた女は、ヨンドンポの路地に住みつき、やがて反体制派の大物政治家Kの暗殺を企てる義賊・チャンギルに出会う。ベトナム帰還兵らを率いる一党に加わった女はKに接近、だが銃口の先にはその側近とおぼしき夫の姿があった。引き金を引いた彼女はその後、仲間に殺されたチャンギルに代わって一党を率いる女義賊となるのである。
    『輪舞する、ソウル。』は、篠山紀信とのコラボによるソウル版「シノラマ」(シノヤマによるパノラマ写真)。パンソリ、仮面劇などの民俗芸能を取材した1978年の韓国の旅(『風景の向こうへ』参照)以来、この国の人々の醸し出すアジア的熱気に魅了された中上は、1981年にはソウル特別区ヨイドのアパートで単身生活を送ってさえいる。1985年刊行の『輪舞する、ソウル。』は、その成果とも言える韓国・ソウル論でありホットな実見録。彼はここで、その「路地」に「発情した」とさえ語っていた。

    【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
    ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集12 『オルガナイザー中上健次の軌跡』

    1,946pt/2,140円(税込)

    今も開催される「熊野大学」など中上が熊野で立ち上げた三つの文化組織。「熊野とは何か」という問いの全貌がここに。

    ここに収められたのは、全て作家が故郷・和歌山県新宮市で語り、行い、書き綴ったもの。自ら地元で立ち上げた文化組織は、1970年代末の「部落青年文化会」に始まり、「隈ノ會」、「熊野大学」と規模を拡大した。なかでも「熊野大学」は、1992年の作家の死後も現在に至るまで、合宿形式による「夏期特別セミナー」を開催している。この市民大学のモットーは、門もなく、試験もなく、卒業は死ぬ時。中上健次はその創始者にして最初の卒業者となった。『中上健次と読む「いのちとかたち」』は、熊野大学の発足当時から作家の死の直前まで、地元の市民たちを集めて速玉大社双鶴殿で行われた山本健吉『いのちとかたち-日本美の源を探る』の講読記録。
    「部落青年文化会」は、「路地」の若者たちを組織、東京から石原慎太郎、瀬戸内寂聴(当時、晴美)、吉本隆明、唐十郎らを招いて連続公開講座を実施した。「開かれた豊かな文学」は、その間に行われた中上健次の講演記録である。
    同窓生の田村さと子(ラテンアメリカ文学者)らを招き、新宮市民会館で発会式を行った「隈ノ会」を含めたこれら三つの文化組織で、中上は熊野とは何かという問いを終始喚起し続けた。

    【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
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  • 中上健次 電子全集13 『紀州熊野サーガ5 虚構空間の更新と移動』

    1,946pt/2,140円(税込)

    「路地」なき世界での“血の因果”を表現した3作品『十九歳のジェイコブ』『野性の火炎樹』『讃歌』を収録。

    『十九歳のジェイコブ』は、初期の『十九歳の地図』の姉妹編と位置づけられる作品。ジャズとドラッグとセックスに溺れる未成年者の魂の奥底からの叫び、殺意へと結晶する日常世界からの脱出の回路。自らを取り巻く全世界の否定願望は、その具体的な方法を持たない若者にとって、歪(ゆが)みながら一方的に増殖する。それが『野性の火炎樹』となると、「路地」の記憶装置ともいうべきオリュウノオバの存在を媒介に、物語的な深化がもたらされる。ここでの主人公は呪われた家系である中本の一統にして、黒い肌の混血児・マウイ。路地の産婆オリュウに言わせるなら、マウイの誕生は血の因果が凝縮した結果だったのである。
    『讃歌』は『日輪の翼』の後日譚である。大型トレーラーの改造車にオバたちを乗せ「路地」を旅立った若衆は、東京で「性のサイボーグ」であるジゴロに変身している。類(たぐ)い希(まれ)な美貌とジムで鍛え抜いた美しい肉体、だが彼は日ごとの性の饗宴に埋没しているわけではなかった。中上がこの作品で描いたのは、「路地」なき世界への帰還という不可能な物語であり、東京で離散した愛おしい老若男女たちへの「讃歌」だったのである。

    【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
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  • 中上健次 電子全集14 『ジャズと演歌と都はるみ』

    1,946pt/2,140円(税込)

    「浪花節とクラシックの奇跡的な綜合がジャズだ」と語る中上の音楽観とジャズへの思い、“友”都はるみとの交友を描く。

    『天の歌 小説 都はるみ』は、現代の歌姫に捧げられた半生記的実名小説。中上健次と都はるみは、作家と歌手という仕切りを越えて人間として親密な友愛を育んだ。中上は「普通のおばさん」に戻りたいと芸能界を去った都はるみの、歌手復活の影のプロデューサーでもあった。文学と芸能が上下の関係にないように、中上に浪花節(なにわぶし)とクラシックも横並びにある音楽ジャンルであり、一方が大衆向けの俗謡で、他方が高尚な西洋音楽なのではなかった。上京後、ジャズにのめり込むようになったのは、そこに二つの音楽ジャンルの綜合が奇跡的に実現されているように思われたからだと、そのユニークな発見の経緯を語っている。バッハのブランデンブルク協奏曲を聴きながら、代表作『枯木灘』を書いたという中上は、芸能、文化から政治、経済まで縦のヒエラルキーを横に倒すことで、ラディカルな価値転倒を試みた。都はるみとは、そうした方法意識を実践した作家が出会った同時代の貴重な「タレント」だったのである。
    『ジャズと爆弾』の対談相手・村上龍は、六歳下の芥川賞作家。中上の切り開いた、「戦後文学」の突破口を彼は別の方法で押し広げたと言えるだろう。

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  • 中上健次 電子全集15 『増殖する物語世界 未完作品群』

    1,946pt/2,140円(税込)

    中上晩年の未完3作『大洪水』『熱風』『南回帰船』では、「路地」の末裔らが、海外へと増殖していく……。

    『大洪水』は、かつての「路地」世界から逃れ出た鉄男(浜村龍造の朋輩・ヨシ兄の息子)が、リー・ジー・ウォンの変名で登場、シンガポール、香港と渡り歩き香港社会を操る黒幕・ミスターパオに出会う。「路地」解体の時期に父親殺しを行ったこの主人公は英語を流暢に使いこなすプレーボーイで、中上作品になかったキャラクターに変態を遂げていた。

    『熱風』は南米に渡った「天人五衰」(『千年の愉楽』)の主人公・オリエントの康(こう)の一粒種タケオが、「路地」の産婆オリュウノオバに渡すエメラルドを携え、東京新宿に現れ、紀州徳川藩の局(つぼね)の末裔・徳川和子、同藩毒味役の血を引く毒味男、オリュウの甥と名乗る「九階の怪人」の三人に出会う。物語は彼らが「超過激・超反動」の犯罪者グループを組織、バブル経済で膨れ上がった日本への復讐を企図、一路新宮の「路地」を目指す。

    『南回帰船』は劇画原作。物語は、旧清朝皇帝の宝として主人公・草壁竹志(南洋漁船船員)に手渡されたる宝石といった道具立て、あるいは満州国再校を夢想する老フィクサー伊藤深山の登場など、作家晩年の未完作品の特徴でもある旧大東亜共栄圏の残影がそこかしこにちらついている。

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  • 中上健次 電子全集16 『中上健次 大いに語る』

    1,946pt/2,140円(税込)

    ポスト・モダン社会での“小説作法”について語る講演録「小説を阻害するもの」等、中上の発言、人生相談等を収録。

    『現代小説の方法』は、一九八四年に都内千代田区神保町の東京堂書店で行われた連続講座の記録。いま、小説はいかに可能か。紀州熊野サーガ(物語群)の頂点、『地の果て至上の時』を書き終えた作家が、改めてポスト・モダン社会においてあり得べき小説作法について語る。
    『中上健次発言集成6』に収められた講演「私は〈日本〉人なのか」は、さらに衝撃的だ。小学生の頃、母親から貰った三十円で買った「安物のクレヨンで描いた絵が、自分のいままで書いてきた文学のような気がするのです」と作家は語る。そして、読み書きのできない「母に連れられて桜の咲く小学校の校庭に入ったその日からいままで、これから私の呼吸が停止するまで、私の愛する、文字に関係のない疎外された母たちの世界と、文字のこの世界の間の亀裂に、身をよこたえ、理由のない怒りに身を震わせ続ける」という自覚を披瀝しているのだ。
    『問答無用』は唯一の人生相談。自身の子の世代に語りかけた平易な内容ではあるが、さりげなく子育ての経験から導かれた中上の思想信条、生の哲学が語られていて読み応えがある。「文章は肉体だよ。オレは、それを一貫していい続けている。チンポコのある奴は文章を書けるよ」。
  • 中上健次 電子全集17 『エッセイ集 1980年以降』

    1,946pt/2,140円(税込)

    昭和から平成へ・・・作家としての覚悟と決意を語った「もうひとつの国」等、中上の“最後の叫び”が凝縮された1巻。

    『時代が終り、時代が始まる』は、昭和の時代のカウントダウンが開始された頃のエッセイ。一九八七年、沖縄国体ソフトボール競技会場で起きた「日の丸焼棄事件」に反応した作家は、時代の潮目を読むアンテナを備えた一人のシャーマンでもあった。
    長篇エッセイ「もうひとつの国」は、韓国、バリ島と旅を続ける作家の自作とその風土の解読としても刺激的な内容である。中上健次はここで、和歌山県新宮市の土木建設業者の親族が中心的な役割を果たした、現実の「路地」の解体=再開発を目の当たりにして、作家としての覚悟と決意を語っているのだ。虚構空間としての「路地」は、言うまでもなく「現実の路地」(被差別部落)と深く切り結んでいた。あるいは、ここで語られた「熊野」とは、もとより世界遺産指定以前の、「中心」に回収されることのない熊野である。
    『バッファロー・ソルジャー』のタイトルは、ジャマイカのレゲエ歌手ボブ・マーリーの歌から取られている。Buffalo soldier brought to America--。
    終わりなき旅を続ける中上のフットワークは、衰えを知らない。

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  • 中上健次 電子全集18 『未完の中上ワールド――開かれた終焉へ』

    1,946pt/2,140円(税込)

    中上文学の終焉。“運命の男女”の愛を描き映画化もされた『軽蔑』、アジアへと増幅する長大な未完作『異族』を収録。

    『軽蔑』は完結した中上最後の小説。死の前月(1992年7月)に刊行され、2011年廣木隆一監督、高良健吾、鈴木杏の共演で映画化された。風俗店の踊り子・真知子と地方の資産家の息子で暴走族上がりの放蕩児カズさん。「これから高飛びだぜ」の一言で運命の扉を開く二人だが、カズの背負い込んだギャンブルによる多額の借金で田舎での暮らしは破綻、「男と女、五分と五分」の関係はカズの死であっけなく終幕を迎える。『鳳仙花』以来の二度目の新聞連載小説だった。
    『異族』は著者にとって最長の作品、残り百枚足らずのところで完成を見なかった。「路地」に生を受けたタツヤ、在日韓国人二世のシム、アイヌモシリのウタリなど胸に青アザ(旧満州国の地図に擬せられる)を持つ複数の登場人物が、右翼の大物に導かれ、満州国再興のミッションを携えて、東京-沖縄(石垣島)-台湾-フィリピン(ダバオ)と転々とアジアの南に舞台を移しながら物語を増殖させる……。
    なお、『青い朝顔』はフランスの出版社の依頼で書いた短篇で、作家の死後間もなくして発見された。

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  • 中上健次 電子全集19 『全対話集 I』

    1,946pt/2,140円(税込)

    梅原猛、角川春樹、吉本隆明、石川好・・・文学、歴史、思想等について中上健次が熱く語る対談集を完全収録。

    『君は縄文人か弥生人か』の対談相手・梅原猛とは、晩年近くに交友があった。死の半年前の1992年5月、故郷・和歌山県新宮市で、中上は梅原、原田芳雄(俳優)らを招いて、御燈祭りセミナーを企画したが、腎臓癌治療のため慶応病院に緊急入院、やむなく参加を見合わせることになった。
    『俳句の時代』は、角川春樹との3回の対談。サブタイトル「遠野・熊野・吉野 聖地巡礼」の通り、場所を移して行われた。中上健次の紀州熊野サーガ(物語群)の符牒「(夏)芙蓉」をめぐって角川は、自らの「言語感覚」との共通点を、「キーワードは〈芙蓉〉なんだよ」の一言に集約させている。中上健次は、熊野大学定例の俳句吟行では、専ら講評に徹したが、現代作家には珍しい本格的な俳句鑑賞者だった。
    『解体される場所』は吉本隆明、三上治との鼎談で、昭和の終焉後に行われた。ここでの解体される場所とは、旧左翼的な尻尾を引きずった戦後思想、文学の理念のことであり、またサブカルチャー的なものに浸透された文化の総体も指していた。
    その他、ノンフィクション作家・石川好との対談『アメリカと合衆国の間』、各種インタビューも収録。

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  • 中上健次 電子全集20 『全対話集 II』

    1,946pt/2,140円(税込)

    数多くの対談をこなした作家・中上健次。文学者、女優、アーティスト、音楽家……、96の“危険”な対談&座談を完全収録。

    1980年までに編年体の「全対話」を2冊刊行した中上健次は、数多くの対談をこなした作家として知られ、徹底的に時代と相渉る作家の試行錯誤の跡そのものであった。
    文学者だけではなく、ある時は女優と、ある時はアーティストと、またある時は音楽家と作家は飽くことなく語り続けた。そこには、外交辞令のかけらもない。
    中上的な愛嬌とサービス精神に対話者は瞬く間に打ち解け、中上の発するオーラの圏内に引き込まれてしまう。それは、石原慎太郎だろうと、蓮實重彦だろうと同じである。
    80年代文学論から風土論、安吾論、セリーヌ論まで、中上の射程はどこまでも延びてゆく。黒田征太郎を相手に、「俺がいちばん危険だ」と語るこの物騒な作家は、だが誰よりもデリケートな感性を、そこかしこで披瀝もしている。高橋三千綱に対して「お前の小説を読んでると、こいつはやっぱり戦争がほしいんだなっていう感じがする」と語るとき、彼は「戦争を知らない子供たち」の一人として、その世代意識の死角を鋭く突いていたのだ。
    だから、放たれた矢が自身に返って来ることを作家が意識しなかったはずはなかった。やはりどこまでも中上は、危険な男なのである。

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レビュー

中上健次 電子全集のレビュー

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