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山口瞳 電子全集16 1972~1973年『考える人たち』
26巻配信中

山口瞳 電子全集16 1972~1973年『考える人たち』

2,000pt/2,200円(税込)

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作品内容

通勤電車の中の出来事を描いた『月曜日の朝』、『考える人たち』等1972~1973年の小説、エッセイ等241作品収録。

収録作品は、エッセイ「ことしの将棋界展望」(「北海道新聞」夕刊1972年1月4日)から、小説「続血涙十番勝負9 振飛車日本一、大野源一八段」(小説現代1973月12月号)まで、1972~1973年に発表された小説、エッセイ等241作品を初出掲載順に収録。

国立を舞台とした『わが町』(電子全集13回巻収録)に続く作品が、1972年の『考える人たち』。『わが町』では「せんせい」と呼ばれる「わたし」は、『考える人たち』では、「偏軒」となり、また登場する人たちは、イースト、ドストエフスキー、風船はじめ、コーガン、マチモロ、アガクシ、ウルサザキ、モットモ、ケケネツ、K子、コーザイなど、不思議な名前を付けられている。

『月曜日の朝』は、1973年に「週刊朝日」に連載された作品。担当編集者から、毎週月曜日の朝、広告制作会社であるサン・アドに出勤する山口瞳が、「その電車のなかの出来事を書いたら」という提案に押し切られて、1年間の連載を引き受けざるを得なくなり、カメラマン・田沼武能の写真とのコラボレーションというユニークな企画となった。単行本化(1976年)に際し、3800円という高額な「手のかかる、金のかかる本」は、短文の名品と造本の美しさをもって、その価値を裏切ることがないものとなった。なお、今回、単行本に掲載された田沼の写真全作品も収録される。

付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(16)を寄稿。

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  • 山口瞳 電子全集11 1965年『結婚します』

    2,000pt/2,200円(税込)

    “謎の多い”青春小説『結婚します』と、庶民の哀しみをユーモラスに描いた傑作『世相講談』など、小説、エッセイ等109作品収録。

    収録作品は、小説「世相講談1 生き残り」(「オール讀物」65年1月号)から、エッセイ「生活の中の美学18 招宴」(婦人画報65年12月号)まで、1965年に発表された小説、エッセイ等109作品を初出掲載順に収録。

    『結婚します』の単行本が発売されたのが、1965年3月5日。長らく、この作品は初出媒体不明の“謎の多い”作品だった。今回、電子全集収録に向けた調査で、「岐阜日日新聞」に1964年8月18日から、1965年3月18日に連載された、山口自身初の新聞小説だったことが判明した。
    連載開始にあたって山口は「現代の結婚とは何かという問題を、サラリーマンの結婚をめぐる近代的コメディー調で描きたいと思う。ずいぶん欲ばった構想だが、精いっぱいがんばってみるつもりである」と語り、事実、清涼感に満ちた青春小説の佳作である。しかし、新聞連載終了前に単行本が発売されたという“謎”は解明されないままである。

    また、約5年にわたり「オール讀物」に連載され、全54編の短篇小説から構成される『世相講談』(第11回~15回で全篇収録)は、山口瞳という小説家の数多くあるキーワードのうち、ここで謳われた「庶民」と「ユーモア」そして「哀しみ」という三つのキーワードを織り込んだ連作で、初期の作品の中で、特別な光彩を放つ傑作の一つである。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録、「草臥山房通信」(11)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集12 1966~1967年『結婚しません』

    2,000pt/2,200円(税込)

    『結婚します』の作家が描く12人の女性像『結婚しません』と傑作『世相講談』13~35話など小説、エッセイ等103作品収録。

    収録作品は、小説「結婚しません1 赤い大橋」(「婦人画報」1966年1月号)から、エッセイ「オバケだった実力日本一」(「東京中日新聞1967年12月25日)まで、1966~1967年の2年間に発表された小説、エッセイ等103作品を初出掲載順に収録。『結婚しません』は、「江分利満」シリーズを世に出し、作家・山口瞳誕生に一役買った「婦人画報」編集長・矢口純が、先に発行されて好評だった長編小説『結婚します』に目をつけ、「結婚は、結婚する当事者が確信をもって結婚を決意する時、適齢期を迎えるのである。私は『結婚します』の作家に、こうした12人の女性像を、12の短編小説にしてもらったことがある」と、あとがきで記した経緯で「婦人画報」に連載された作品で、高度成長期の世相や時代が映し出され、その中で翻弄されるBG(ビジネス・ガールの略)の恋愛観、結婚観が滲み出ている。
    また、1965年から続く1話完結短篇小説「世相講談」は、当巻では「世相講談13 人生星取鏡」(「オール讀物」1966年1月号)から、「世相講談36 唐茄子屋」(「オール讀物」1967年12月号)まで24話が収録。単行本『世相講談』の推薦文で作家・吉行淳之介が「山口瞳は『庶民の味方』ではなくて、『庶民そのもの』のような人物である」と評したように、この作品には“山口瞳文学”の魅力が凝縮されている。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録、「草臥山房通信」(12)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集13 1968年『わが町』

    2,000pt/2,200円(税込)

    国立の住人との親交と“町の匂い”を運ぶ『わが町』、恩師を描いた『小説・吉野秀雄先生』など、小説、エッセイ等70作品を収録。

    収録作品は、 エッセイ 「同年同月同日生れ」(1968年「小説現代」新年特大号)から、エッセイ 「穴のグランプリ」(「東京中日新聞」12月21日)まで、1968年に発表された小説、エッセイ等70作品を初出掲載順に収録。
    終の棲家となった国立市に越して5年、賃貸住宅を借り上げた山口は、この年「変奇館」と自ら名付ける新築の家を建てた。この旧宅の解体、新築、造園という過程を重ねながら、山口瞳は、少しずつ、国立の住人との親交を深め、国立を「わが町」としていったが、1968年4月14日から9月25日まで、朝日新聞日曜版に全25回の短篇連作小説『わが町』を連載する。
    『わが町』に登場する、地元のタクシー会社の運転手たち、行きつけのうなぎ屋や居酒屋や酒場の人たちと、それらの店に集まってくるお客たちは、これ以降の山口の作品の中に、さまざまに形を変えては登場してくる重要な人物たちとなり、山口瞳の作品に中に、“町の匂い”を運んでくれることになる。
    また、作家・山口瞳にとって重要な作品、『小説・吉野秀雄先生』は、『わが町』が、これからの山口瞳と“わが町”とのつきあいのはじまりを告げる作品だとすると、この作品は、歌人・吉野秀雄を書きながら、山口が青春のひとときを過ごした鎌倉大学校(後の鎌倉アカデミア)で師と仰いだ吉野秀雄とのふれあいと同時に、鎌倉大学校に在籍していた妻・治子と自分の恋愛と結婚を描いていて、あるひとつの青春に決着をつけている作品だと言うことができる。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録、「草臥山房通信」(13)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集14 1969年『なんじゃもんじゃ』

    2,000pt/2,200円(税込)

    山口文学のもう一つの顔、紀行文学の嚆矢“昭和の弥次喜多”とも言える『なんじゃもんじゃ』など、小説、エッセイ等47作品収録。

    収録作品は、 エッセイ「天皇賞の森安弘明 ならぶところなく抜き去る」(「優駿」1969年1月号)から、「なんじゃもんじゃ3 姥湯の夜嵐」(「オール讀物」1969年12月号)まで、1969年に発表された小説、エッセイ等47作品を初出掲載順に収録。
    山口瞳の人生を大きく変えたのが1958年の寿屋(現サントリー)への入社である。1899年に創立された寿屋は、1969年に創立70周年を迎え、記念して出版された社史「サントリーの七十年」に、山口瞳が、創業者・鳥居信治郎を、開高健が、二代目・佐治敬三を、それぞれ描いて、寄稿する。山口瞳の『青雲の志について』は、1969年「小説新潮」7月号に転載され、一般の人々の目に触れることになる。 
    『なんじゃもんじゃ』の連載が始まったのが、1969年「オール讀物」10月号で、翌年まで14回にわたって続けられる。内容は、国立在住の「ほぼ五十歳と推定され」、「彫刻家であり、大工であり、家具屋であり、画家であり、陶芸家であり、瓦職人であり、書家であり、篆刻家であり、庭師であり、わけわからないが、とにかく、なんでも出来てしまう」という人物で、その風貌から「ドストエフスキイ」、略して「ドスト氏」との行う、弥次喜多旅行記である。
    山口瞳の作品の中に大きな位置を占めるのが紀行で、『なんじゃもんじゃ』はその嚆矢にて、松尾芭蕉の「奥の細道」から、敬愛して止まない先輩の作家・内田百間の『阿房列車』までの紀行文学の伝統を継ぐものである。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録、「草臥山房通信」(14)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集15 1970~1971年『人殺し』

    2,000pt/2,200円(税込)

    『人殺し』、『血涙十番勝負』、『けっぱり先生』等、1970~1971年に書かれた小説、エッセイ等87作品収録。

    収録作品は、小説「小説将棋必勝法 八段二上達也」(「小説現代」1970月1月号)から、「どこ吹く風 19(完)長い道」(「小説新潮」1971年12月号)まで、1970~1971年に発表された小説、エッセイ等87作品を初出掲載順に収録。

    1970年から1971年にかけての山口瞳は、「男性自身」シリーズの週刊誌連載のほかに、長篇小説『人殺し』の文芸誌連載と『けっぱり先生』の新聞連載、紀行エッセイの『なんじゃもんじゃ』、『血涙十番勝負』の連載、短篇小説『どこ吹く風』に連作連載のほか対談や座談会、さらに、年2回の「小説現代」新人賞の選考委員会という壮絶な流行作家の生活を送っている。

    この時期の重要な作品の一つ『人殺し』は、安穏な生活を望む、中年の作家・井崎と、精神的な病を持つその妻・道子、そして、美貌ゆえに当たり前の女の生き方ができないホステス・瑛子という三人の主な登場人物を巡っての心理劇というような物語。1969年11~12月にかけての京都入院中に構想が練られ、「文學界」に15回にわたって掲載された山口瞳にとって、はじめての純文学誌での連載であった。

    さらに、プロ棋士との対局の自戦記を小説として描いた異色のシリーズ『山口瞳血涙十番勝負』は、作家が書いた将棋本の最高峰ともいえる作品。第15回巻では第一番から第八番までの“名勝負”が収録されている。
    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(15)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集16 1972~1973年『考える人たち』

    2,000pt/2,200円(税込)

    通勤電車の中の出来事を描いた『月曜日の朝』、『考える人たち』等1972~1973年の小説、エッセイ等241作品収録。

    収録作品は、エッセイ「ことしの将棋界展望」(「北海道新聞」夕刊1972年1月4日)から、小説「続血涙十番勝負9 振飛車日本一、大野源一八段」(小説現代1973月12月号)まで、1972~1973年に発表された小説、エッセイ等241作品を初出掲載順に収録。

    国立を舞台とした『わが町』(電子全集13回巻収録)に続く作品が、1972年の『考える人たち』。『わが町』では「せんせい」と呼ばれる「わたし」は、『考える人たち』では、「偏軒」となり、また登場する人たちは、イースト、ドストエフスキー、風船はじめ、コーガン、マチモロ、アガクシ、ウルサザキ、モットモ、ケケネツ、K子、コーザイなど、不思議な名前を付けられている。

    『月曜日の朝』は、1973年に「週刊朝日」に連載された作品。担当編集者から、毎週月曜日の朝、広告制作会社であるサン・アドに出勤する山口瞳が、「その電車のなかの出来事を書いたら」という提案に押し切られて、1年間の連載を引き受けざるを得なくなり、カメラマン・田沼武能の写真とのコラボレーションというユニークな企画となった。単行本化(1976年)に際し、3800円という高額な「手のかかる、金のかかる本」は、短文の名品と造本の美しさをもって、その価値を裏切ることがないものとなった。なお、今回、単行本に掲載された田沼の写真全作品も収録される。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(16)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集17 1974~1975年『礼儀作法入門』

    2,000pt/2,200円(税込)

    マナー本の名著『礼儀作法入門』、風景画を含めた紀行文『湖沼学入門』等1974~1975年に書かれた206作品収録。

    収録作品は、小説「金曜日の夜1南京豆」(「週刊朝日」1974年1月4・11日号)から、エッセイ「湖沼学入門 9 林道霜雨」(「小説現代」1975年12月号)まで、1974~1975年に発表された小説、エッセイ等206作品を初出掲載順に収録。

    山口瞳は流行作家としての多忙な日々の中、小学館から1974年6月に創刊されたばかりの、若者向けの総合雑誌男性雑誌「GORO」に、『礼儀作法入門』(連載時のタイトルは「礼儀作法」)の連載をはじめる。この連載は好評のため、1976年11月「続・礼儀作法 粋とは何か」(電子全集18回巻収録予定)まで、29回にわたって続くことになり、[マナー本]の名著として、山口の名を更に高めることとなる。

    『月曜日の朝』とタイトルが対になった『金曜日の夜』は、東京郊外の街を舞台に風変わりな名前を付けられた人物たちの人間模様を描いた内容で、『月曜日の朝』、『考える人達』両作品の続編ともいえる作品。

    また、この頃、山口は、風景画を描く心得を述べており、『湖沼学入門』(電子全集17回巻に第9話まで収録)と銘打った風景画を描きながらの紀行エッセイを「小説現代」で連載開始。湖や沼の岸辺でスケッチをしている老人のように、のんびりと風景画を描いてみるという趣旨で、その後の『迷惑旅行』、『新東京風景』等の画期的な紀行文学へ引き継がれていく。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(17)を寄稿。

    この作品の容量は、46.6MB(校正データ時の数値)です。
  • 山口瞳 電子全集18 1976~1977年『迷惑旅行』

    2,000pt/2,200円(税込)

    ドスト氏との紀行文第3弾『迷惑旅行』、初の随筆集『旦那の意見』等、1976~1977年に書かれた作品102作品収録。

    収録作品は、小説「輪の中」(「群像」1976年1月号)から、エッセイ「迷惑旅行9 知多半島、篠島、大夕焼」(小説新潮1977年12月号)まで、1974~1975年に発表された小説、エッセイ等102作品を初出掲載順に収録。

    1976年7月、首相だった田中角栄が逮捕されたことを受けて、山口瞳は「中央公論」10月号に、「下駄と背広――私小説的田中角栄論」を寄稿した。この中で、「田中角栄の履歴は私の父とよく似ている」と、生涯和解することのなかった父親・山口正雄のことを、田中角栄と重ねて書いた、この「私小説的田中角栄論」は、後年、長篇小説『家族(ファミリー)』として結実する。山口瞳は、この「下駄と背広」を芯にして、最初の随筆集『旦那の意見』を刊行する。「文学寄り、文壇寄り、という、いわば、小説家の随筆集を出してもらうのは、これが初めてのことになる。」(同書あとがきより)

    一方、“盟友”ドスト氏との紀行文『迷惑旅行』。このシリーズの最終回は、「父祖の地佐賀、塩田町久間冬野」(第19巻に収録)と題して、「五十一歳にして、はじめて訪れた父祖の地」である塩田町への訪問のことが書かれている。この時期、山口瞳は一族の秘密を暴かなくてはならないということに苦悩しながら、しかし、小説家としての本能に衝き動かされるように、書き下ろし長篇小説を準備するという「衝撃に向かって突き進んで」いくのだった。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(18)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集19 1978~1979年『血族』

    2,000pt/2,200円(税込)

    自分の家族の生涯を赤裸々に綴った私小説『血族』を始めとして、1978年~1979年9月までに書かれた67作品収録。

    収録作品は、エッセイ「人生仮免許」(朝日新聞ほか1978年1月15日)から、小説「昨日の今日」(「小説現代」1979年9月)まで、1978年~1979年9月までに発表された小説、エッセイ等67作品を初出掲載順に収録。

    山口が初めて書きおろした長編小説『血族』は、美しく奔放で、好きなように生き、自らのことをほとんど語ることなく亡くなった母について、幼い頃に目にした光景、家に出入りしていた人たちの言葉、そして数々の資料をひもとき作者は自らの出自の謎に迫り、その過程を、母の思い出などを交えて綴った作品である。登場する人物は、直接関わりのない人々がイニシャルになっているのをのぞけば、親族はみな実名であり、“私小説”の傑作として、山口瞳を代表する作品として、第27回菊池寛賞を受賞した。

    また、1978年1月15日(成人式)の朝日新聞はじめ全国紙に、山口は「人生仮免許」というエッセイを掲載した。これは、法的に飲酒が許される[新成人]に向けて、山口瞳が、酒の飲み方や礼儀作法を説くという、サントリーの新聞紙全5段の広告企画であった。4月1日の[新入社員に贈る]と共に、人気のある年中行事となって、以後、山口瞳が亡くなる1995年まで、17年間書き継がれることになるのである。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(19)を寄稿。
  • 山口瞳 電子全集20 1979~1980年『兆治』

    2,000pt/2,200円(税込)

    後に映画化され大いに話題を集めた小説『兆治』を始めとして、1979年10月~1980年までに書かれた43作品収録。

    収録作品は、小説『兆治』(「波」1979年10月~1980年11月。単行本化の際に『居酒屋兆治』と改題)から、エッセイ「武蔵野写生帖9 回想の目白界隈」(「芸術新潮」1980年12月)まで、1979年10月から1980年までに発表された小説、エッセイ等43作品を初出掲載順に収録。

     『居酒屋兆治』は、連作的長篇小説として「波」に連載されたときには、単に『兆治』という題であった。この、素っ気ない題名に、山本周五郎の時代小説の世界、たとえば、「さぶ」の世界を、現代に舞台を変えて書こうという山口瞳の意気を感じないわけにはいかない。愚直なまでに、損な道を進んでしまう不器用な兆治と、なにをしても不幸を呼び込んでしまうさよ、兆治に陰険な仕打ちをしたがる上司など、舞台を江戸時代の下町に変えると、このまま、山本周五郎の時代小説の世界になるのである。『兆治』を原作として、昭和の大スター・高倉健が主演した映画『居酒屋兆治』が、1983年に公開される。この映画では、舞台は北海道の函館に変えられ、それに伴って、兆治が辞めた会社が造船会社、さよが働いていたキャバレーがある旭町が、ススキノに変わっていた。

     画文の紀行文『武蔵野写生帖』は、美術専門誌の「芸術新潮」(新潮社発行)に連載された。いつもの旅で相棒であったドスト氏の同行はなく、これまでの、絵と会話を楽しむ旅行とは違った印象の画文紀行文で、20巻、21巻の2巻に分けて全編を収録する。

    付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録「草臥山房通信」(20)を寄稿。

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