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歴史は、その時代の政治的・経済的条件によって制約されることは言うまでもないが、結局、その国民の理想や願望と民族のエネルギーないし努力によって、つくられてゆくものである。政治についていえば、かっては少数の権力者がこれを決定したけれども、歴史における自由の理念の発展は、もはや動かすべからぎる人類の帰趨であって、なにごとも一般国民の世論の同意と支持なくして行なわれるものではない。ここに、民主主義が、なおそれ自体に問題があるにしても、あまねく現代政治。社会の最良の原理たるを失わない理由がある。
本書の内容を成す「歴史をつくるもの」および「私の学問・教育観」の二篇に収めた諸論稿についで、最後の「思い出の人びと」の一篇に挙げたのは、いずれも明治から昭和にわたって生き、歴史のそれぞれの分野に足跡を残した人たちである。著者の生涯に出会った、終生忘れることのできない恩師・先輩、あるいは同僚・友人である。そのあとに、敢えて亡き妻を附け加えたのは、著者が追懐の情は別としても、名のない女性の生涯ではあっても、家庭を通して何かの形で、庶民の生活の歴史に参加していると思ったからである。すべては、別著『日本の理想』(一九六四年四月、岩波書店発行)以後、折にふれて書き、または語ったものの集録である。それらの機縁については、各論稿の末尾に記して置いた。 これからの百年、ないし新しい世紀において、祖国の悔なき、真に世界に光栄ある歴史が、わが民族によって開かれ、書かれんことは、われわれの世代の誰もが、後代に寄せる最大の願いであるであろう。(「まえがき」より)
目次
まえがき
歴史をつくるもの
民主主義の理想とヴィジョン/ 現代をいかに生くべきか/ 歴史は誰がつくるか/ 偉大な理想/ 明治百年とその後
私の学問・教育観
大学と学問/ 誰のための学問か/ 哲学の回復/ 思想は「ミネルヴァの梟」か。/ 私の教育観/ 福沢諭吉の宗教観/ 何故ラッセル平和財団日本側委員会に参加したか/ 他者/ 友愛/ 人間の本分。r/ 〝生きる〟ということ/ 卒業式なき卒業生諸君を迎えて/ 学徒出陣二十五年/ 大学紛争について
思い出の人びと
内村鑑三先生/ 新渡戸稲造先生/ 三谷隆正君/ 矢内原忠雄君/ 斎藤宗次郎翁/ 茂吉考/ 花田比露思さんのこと/ 山田三良先生/ 岩田宙造先生/ 小泉さんと日本学士院/ 大沢章君/ 海野晋吉弁護士/ 亡き妻