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『婿どの』と呼ばれるようになった鈴之助
本作の主人公鈴之助の生家は、竹や杉や柳等で作られた楊枝を商う楊枝屋です。人の身体の中でも一番に大事にするべき口や歯の品物を扱う商いは、医者にも匹敵する程のものでしょう。
そして、温和な両親と兄達に慈しまれて育ってきた鈴之助は、人の良さを絵に描いたような人物に違いありません。自分が人品共に優れているとは少しも思っておらず、謙虚で心根が優しいのです。これは持って生まれた性格だけではなく、日々の親兄弟との生活の中で培われたものだったと思われます。
窮地に陥っても、色々と思い巡らし最適解に近い解決方法を見出せる能力は誰でもが持っているものではありません。当事者にとって何が一番大切なものかを見極める思慮深さと直感力を持っています。相手の懐に入っていく人懐こさもやんわりと持っていて、子どものような無垢な心情に誰もが惹かれてしまいます。
江戸時代の仕出し料理の仕組みの見事さと献立は垂涎物でした。現代の仕出し弁当とは比べようもない、かの時代が生んだ贅沢だったのでしょう。再現して、味わってみたいものです。
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太平の眠りを覚まさんと、列強が手を変え品を変え虎視眈々と狙っていた江戸時代末期。
明治、大正、昭和、平成、令和と続いてきた日本ではあるのですが、望む形ではないことを憂う人は多いのでしょう。
現代は、職業で認められた人だけが武器を持つことを赦されています。それでも、銃の類であって刀ではないでしょう。
また、刀を扱える人は稀でしょう。
江戸時代は、武士のみが刀を扱うことを赦されていました。実際に使うことはなくなっていても、いざという時の為に道場などで鍛錬をしていました。そして、身を守ったり誰かを助ける為に、誰よりも強く優れた技能を持たなければなりませんでした。
刀の重さと命の重さを身を以て感じることが剣の鍛錬の道の一歩目です。日頃は、刀と同じ重さの木刀で鍛錬しますが、その重さをもはや感じなくなった時が二歩目なのかもしれません。相手の動きを読むことを考えるより先に身体が動くようになると漸く三歩目。剣の道の奥義に達するには永い道程と持って生まれた天性の才が必要なのでしょう。
伊織と琴乃は、何度も危うい目に遭いながらも生き抜いていきます。そして、長い別離の時を経て、初めてのやすらぎの時を迎えます。
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アオジマイコ先生の表紙絵に心が騒いで
この市松師匠幕末ロマンは、シリーズになっているそうです。
まだ暫くは、師匠の動向を愉しめるようです。
レビューを書くために、二度読んだのですが、第二弾が発行されるまでに、後何度か読み返すと思います。
登場人物が多すぎないし、話がゆっくりと進んで行くので、それぞれの人の姿かたちや性格や場面の様子などを思い浮かべながら、楽しく読むことができました。
市松師匠の度胸と機転の利いたところと考え方の柔軟性など私たちが見習いたいところが多く見受けられて、ただの娯楽として読むだけではなく、人生の教本としてもいいように感じられました。
次の作品が待ち遠しいです。
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こんな作品まであるなんて
上田先生は、江戸時代の文化、経済など独特の切り口で時代小説を書かれている巨匠ですが、本作品は妾屋という独特の商売を軸に江戸の文化を描いています。ただのチャンバラに飽きた方、時代小説好きにはとてもお勧めです。
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普通の商人だと思っていた公儀隠密だったことを父の急死で知らされた藤次郎。大好きななっちゃんと結婚するため、隠密廃業すべく奮闘する藤次郎は格好いい(藤次郎に仕える配下も実は普通の人になりたかったというのは笑ってしまった。)
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面白さも、感動する部分もありの作品です
葉室作品の中で比較的読みやすい小説です。
すこし笑ってしまう部分もあって、時代小説初心者にはおすすめです。
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過去に江戸は大火に何度か見舞われ、東京となってのちにも大震災や大空襲で焼け野原になっている。一国の中心地とはそういう定めを持っているものかもしれない。
この小説を初めて読んだ後は、恨みによって余りにも多くの人が命を奪われていくのに心が打ちのめされて、二度と読むまいと思ってしまった。
けれども、夢吉や冴をもう一度よく知りたいと思って、二度目は読み飛ばさないでじっくりと読んでみた。
雨柳や設楽彦四郎についても、周りの人に掛ける言葉や態度から人物像を想像しながら、他の登場人物についても同様にして読んでみた。
大火の発端となった恨みの一つは、この人と生涯を伴にすると決めた男を廃人にされた女のものであり、もう一つは、恋仲の男の周りの人々によって男との仲を裂かれた女のもの。もう、恨みは募るにつれて怨嗟に変じて行って、怨霊にさえなり果てる。
そのどちらも、雨柳によって,静められて、然るべきところへ行き着く。
そして、この小説の伏線として、折に触れて読み手に示されてきた、雨柳の過去と設楽彦四郎の仇討ちとの絡みを、最後の最後に知らされる登場人物たちと読者。
『ふたご』という真相には驚かされた。確かに『双子』は昔は忌み嫌われたので、一緒に育てられることがなかったようなので、このような事も起こりうるかもしれない。けれども、一卵性双生児であっても、育て方や食事によって,容貌がかなり違ってくると思われるし、なにより、悪事を働くものは行いを映した顔になる。
それはそうと、設楽彦四郎、速足で帰ってこないと、自分の子どもになつかれない父親になってしまうよ。いいのかい?
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