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父・矢内原忠雄は存命中、内村鑑三記念講演会で行なった講演を集めて一書とし、東京大学出版会から出版する意図をもっていた。しかし、三十年間全部そろっているところが値打ちだと言っただけで、具体的プランも示さないまま、一九六一年十二月二十五日に天に召された。その後、東京大学出版会はなお出版の希望を示されたので、自宅を調べてみたがこのために原稿が一カ所にまとまっているということもなかった。そこで諸資料によリリストを作成してみたところ、すでに活字になって公表されているもののほかに、未発表のものもあることがわかった。
著者の意図が、既発表のものだけを集めるものか、それとも未発表のものも含めるのか、また排列の順序もわからないのであるが、ここでは入手できるものはすべて、講演の行なわれた時代順に収めることにした。(中略)序にかえて―― 「内村鑑三先生と私」は講演ではなく、著者の個人雑誌『嘉信』の巻頭短言の一つであるが、私が序にあてたもので、著者の指示によるものではない。2 「悲哀の人」と6 「内村鑑三論」は講演そのものではなく、講演にもとづく論文である。3 「人は何のために生くるか」はビリピ書についての三回の講演の第三講であるが、内村鑑三先生満九周年記念講演としてなされた。・3 「自由と独立」、15 「新日本の定礎」、19 「教育と宗教」、2。「内村鑑三とシュワィツァー」の四篇は未発表であるが、籾山民子氏による速記がそのままの形で保存されていた。著者は速記をもとにして原稿を作る場合かならず自分で手を入れており、速記そのものを活字にすることを許さなかった。この本に載せたものは、速記に私が手を入れ、章をわけたものである。籾山氏は著者の講義・講演を専門的に速記していたので、その速記はきわめて忠実である。私は表現を整理し、明瞭な著者のあやまり(記憶ちがい)を訂正するだけにし、論旨を損なわないように努めたつもりであるが、もちろん文責はすべて私にある。なお20「内村鑑三とシュフィツァー」の末尾は失なわれていたが、そのままにした。その他の既発表のものについても、著者のあやまり、誤植などはできるだけ訂正し、引用は出所を注記した。本書はその下巻。
目次
十五 新日本の定礎
十六 時勢の動きと預言者の声
十七 無教会主義の中心問題
十八 無教会主義とは何
十九 教育と宗教
二十 内村鑑三とシュワィツァー
二十一 キリストの福音とキリスト教翌一主のしもベ
二十二 われらは七人
二十三 主のしもべ
二十四 宣教百年と無教会運動
二十五 日本の思想史上における内村鑑三の地位
二十六 内村鑑三と日本
二十七 罪の問題
編者あとがき/年表