「植松聖」と現在の日本社会。
なぜ事件が起きたのかを歴史・犯罪論的に問う。
「津久井やまゆり園事件」を歴史・犯罪論的にみたとき、「戦争と福祉と優生思想」という主題が現れる。事件の起きた「重度知的障害者入所施設」が戦後福祉の宿痾であることを歴史的に論じ、裁判がなぜ「植松独演会」と化したのかを、供述調書や傍聴記録の秀逸な分析を通して描き出す。新自由主義や合理化に伴い、犯罪の質がいかに変容してきたかを詳述。
【主要目次】
プロローグ 植松被告人の短い手紙から読み解く三つのこと
第Ⅰ部 戦後福祉の「宿痾」
● 被害者と遺族を「記録」する
●「施設」はなぜ福祉の「宿痾」なのか
第Ⅱ部 裁判がなぜ「植松独演会」になったのか
● 2016年7月26日未明、この惨劇をどう「記録」すればよいのか
● 刑事裁判はなぜ形骸化するのか
第Ⅲ部 「植松聖」という深層へ――彼はなぜ「孤独」だったのか
●「戦争と経済」から読む戦後犯罪私史
● 永山則夫と植松聖、それぞれの「母よ!殺すな」問題
第Ⅳ部 その後――戦争とテロルと「植松聖」たち
● 植松死刑囚の手紙への遠くからの返信――戦争と福祉と優生思想
● 二〇二二年八月、緊急の追記――二人のテロリストと安倍元総理
ながいあとがき――植松死刑囚に送った父親の「手記」