レイモンドとジャドの父親とを、読み終えた今も私は許せない気持ちが、お腹の底に残っているのを感じる。
お話のことなのに。フィクションなのに。
でも、貴重なもの、キラキラした若者らしい時間(希望)を、得るはずだった愛(神)を、彼ら加害者達は
それぞれの対象から奪って行った。
それなのにのうのうと生きている!町の人たちが、レイモンドの事件をいい気味だと言った。これは泣かされた人の話中の復讐を通じて、理不尽な事に対する怒りへの、せめてもの読者用解消手段。何かやり返せるものならやり返したいのに出来ないから。世の中にも他人に酷い事が事が出来る悪魔みたいな人が居るが。無辜の相手に何十年と負わせた苦しみを、やった方が償っていると言えないのにね。やられたほうが傷ついているのに、やった方は恐らく、より平穏に眠れている。人を苦しめた分だけ鬱屈したものを内から吐き出せているのだから。
被害者の傷、身体的にも、そして、精神的にはもっと、深く長く重く。
出会いが新しい何かをもたらして、開かなかったものがこじあけられる。
瀧川先生の明るい色調のカラー頁や、人物絵のおおらかな感じで救われた。でないと、この話が多分に世の中の暗部みたいなものの一部を切り取って来たようで、気が塞いでしまう。
特に、この出会いが、幸せに向かうことを約束するHQなので安心して読める。彼をこののどかなはずの小さい町にとどめる経緯を、姿をあまり見せない飲んだくれのハロルドさんに狂言回し的配置をして、展開見事。誘拐犯の犯人がやっと割れたと思ったら、驚愕の真相。読むのは震えが来るほど怒りで一杯になった。
こんな奴、お話なんだから、お話の中くらいもっとこれ以上ない程の罰を与えて欲しかった。
いつもはHQのレビューで男性がけちょんけちょんに罵倒されてるのを読む度、怒ってる人多いなぁと驚いていたのだが、これは私が怒りたい。
こういうのが、所謂「クズ」なのでは?
前へ進むために彼には必要な行程との言い分は解らぬでもないが、そして、物語的にも大きい一里塚だが、対峙するシーンに付き合わされた読者としての私は、一生会わなくても、ほかに方法あったら良かったのに、と感じてしまった。彼の父親には私には嫌悪感だけだ。
そのため、登場人物が心の決着をつけられても、私は割り切れなさ、やりきれなさだけ残ってしまった。弱い人間は酒に溺れていい、なんて訳がない。
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