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暗闇五段〔完全版〕 【下】

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本作品は諸般の事情により「2021年10月22日23時59分」をもちまして販売終了させていただくこととなりました。ご了承くださいますよう、よろしくお願いいたします。

作品内容

テラさんの漫画は、ハッピーエンドがよく似合う。どんな困難が降りかかろうと、人を信じ抜いた盲目柔道家の物語、ここに完結!中編野球漫画『代打者(ピンチヒッター)』単行本初収録解説本作『暗闇五段』は、主人公である青年柔道家倉見が、兄弟子熊手の黒い陰謀によって記憶と両目の光を奪われながらも、まさに闇の中から這い上がる不屈のストーリーだ。ただ、不屈といっても、根性や悲壮感といったものは作中から感じられない。そこにあるのは、人を信じ、そのつながりを大切にして困難を乗り越えてほしいというテラさん思いだけである。連載中には読者から『倉見のように正しく生きたい』『倉見のまわりの人々のような思いやりの深い人になりたい』といった手紙がたくさん届いたそうだ。常々「漫画はお金を稼ぐために描くのではなく、子ども達のために描くのだ。」と主張していたテラさんの気持ちが、漫画のあたり前の姿が、読者に届いていた素晴らしい作品である。下巻初出ともくじ『暗闇五段』……P.3「週刊少年サンデー」(小学館)1964年21号~31号『代打者(ピンチヒッター)』……P.126「少年」(光文社)1962年4月号~1963年2月号【著者紹介】昭和6年8月4日新潟県巻町生まれ。電電公社(現:NTT)に就職するが漫画家への夢を捨てきれず、昭和28年に上京。同年「漫画少年」での掲載からキャリアをスタートさせる。昭和32年6月まで東京椎名町のアパート「トキワ荘」で暮らし、若い漫画家たちと交流を深め、藤子不二雄氏らとともに“新漫画党”を結成。日本漫画界の発展に貢献した。代表作は『背番号0』『スポーツマン佐助』『スポーツマン金太郎』『もうれつ先生』『暗闇五段』など多数。平成4年永眠。

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作品ラインナップ 

  • 暗闇五段〔完全版〕 【上】
    「ぼくは寺田ヒロオの正しい漫画が、大好きだったのだ。」いしかわじゅん作品解説「正しい人」いしかわじゅん寺田ヒロオの作品は、ずっと読んでいた。あの柔らかく温かい描線。親しみやすいキャラクターの造形。アップも大ゴマもあまり使わず、オーソドックスに展開させていく、派手さはないがよくわかる物語。それは、正しい人の描く正<しい漫画だ。ぼくは寺田ヒロオの正しい漫画が、大好きだったのだ。リアルタイムで読んでいたころには、寺田ヒロオが『まんが道』でテラさんと呼ばれて若い漫画家のリーダー的存在になっていたことがあるなんて知らなかった。でも知ってみれば、まさにそんな人柄なんだろうなと思わせる作風だ。この『暗闇五段』も、ぼくは少年サンデーの連載をリアルタイムで読んでいた。この連載時点で、『暗闇五段』は絵柄や展開がオーソドックスすぎて、既にやや古臭くはあったのだが、それでもぼくは大好きだった。寺田ヒロオの漫画には、リアルで等身大な人間がいた。大袈裟に騒ぎ立てて物語を作らず、リアルな人間のリアルな会話で組み立てていた。テラさんの描く物語には、悪人がいなかった。『暗闇五段』で最大の悪役、主人公の倉見を殺そうとまでした熊手も、最後には改心してしまう。そして倉見も、その改心をあっさりと受け容れてしまう。その代わりに、深い人間関係があった。弟子は師を思い、師は弟子を思う。師の娘の鬼ヒメは倉見を堂々と愛し、黒ひげは行方不明になった倉見を親身になって探し、倒れていた倉見を見つけた可憐なマツゲちゃんは、切なく倉見を慕う。たぶん、時代遅れになりつつあったんだと思う。もっと悪人は悪人らしく、派手な道具.立てで物語を進行させなければ、週刊誌で人気は得られない時代になりつつあったのだ。柔道をやるんなら、必殺技がいる。でもテラさんには、正確な柔道技はあっても、鬼面人を驚かす必殺技を作る必要性はなかったのだ。それが、寺田ヒロオという漫画家なのだ。この作品はこんなに面白いのに、残念ながらあまり人気は高くなかったらしい。この後、寺田ヒロオは少年誌の第一線から徐々に退いていくことになる。寺田ヒロオは、自分の漫画を貫くことの難しさに悩み、鬱屈の度を高めていった。あの明るいリーダーのテラさんの内面もまた、この時期は暗闇だったのかもしれない。初出「週刊少年サンデー」(小学館)1963年46号~1964年21号【著者紹介】昭和6年8月4日新潟県巻町生まれ。電電公社(現:NTT)に就職するが漫画家への夢を捨てきれず、昭和28年に上京。同年「漫画少年」での掲載からキャリアをスタートさせる。昭和32年6月まで東京椎名町のアパート「トキワ荘」で暮らし、若い漫画家たちと交流を深め、藤子不二雄氏らとともに“新漫画党”を結成。日本漫画界の発展に貢献した。代表作は『背番号0』『スポーツマン佐助』『スポーツマン金太郎』『もうれつ先生』『暗闇五段』など多数。平成4年永眠。
  • 暗闇五段〔完全版〕 【下】
    テラさんの漫画は、ハッピーエンドがよく似合う。どんな困難が降りかかろうと、人を信じ抜いた盲目柔道家の物語、ここに完結!中編野球漫画『代打者(ピンチヒッター)』単行本初収録解説本作『暗闇五段』は、主人公である青年柔道家倉見が、兄弟子熊手の黒い陰謀によって記憶と両目の光を奪われながらも、まさに闇の中から這い上がる不屈のストーリーだ。ただ、不屈といっても、根性や悲壮感といったものは作中から感じられない。そこにあるのは、人を信じ、そのつながりを大切にして困難を乗り越えてほしいというテラさん思いだけである。連載中には読者から『倉見のように正しく生きたい』『倉見のまわりの人々のような思いやりの深い人になりたい』といった手紙がたくさん届いたそうだ。常々「漫画はお金を稼ぐために描くのではなく、子ども達のために描くのだ。」と主張していたテラさんの気持ちが、漫画のあたり前の姿が、読者に届いていた素晴らしい作品である。下巻初出ともくじ『暗闇五段』……P.3「週刊少年サンデー」(小学館)1964年21号~31号『代打者(ピンチヒッター)』……P.126「少年」(光文社)1962年4月号~1963年2月号【著者紹介】昭和6年8月4日新潟県巻町生まれ。電電公社(現:NTT)に就職するが漫画家への夢を捨てきれず、昭和28年に上京。同年「漫画少年」での掲載からキャリアをスタートさせる。昭和32年6月まで東京椎名町のアパート「トキワ荘」で暮らし、若い漫画家たちと交流を深め、藤子不二雄氏らとともに“新漫画党”を結成。日本漫画界の発展に貢献した。代表作は『背番号0』『スポーツマン佐助』『スポーツマン金太郎』『もうれつ先生』『暗闇五段』など多数。平成4年永眠。

レビュー

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