「ぼくは寺田ヒロオの正しい漫画が、大好きだったのだ。」いしかわじゅん作品解説「正しい人」いしかわじゅん寺田ヒロオの作品は、ずっと読んでいた。あの柔らかく温かい描線。親しみやすいキャラクターの造形。アップも大ゴマもあまり使わず、オーソドックスに展開させていく、派手さはないがよくわかる物語。それは、正しい人の描く正<しい漫画だ。ぼくは寺田ヒロオの正しい漫画が、大好きだったのだ。リアルタイムで読んでいたころには、寺田ヒロオが『まんが道』でテラさんと呼ばれて若い漫画家のリーダー的存在になっていたことがあるなんて知らなかった。でも知ってみれば、まさにそんな人柄なんだろうなと思わせる作風だ。この『暗闇五段』も、ぼくは少年サンデーの連載をリアルタイムで読んでいた。この連載時点で、『暗闇五段』は絵柄や展開がオーソドックスすぎて、既にやや古臭くはあったのだが、それでもぼくは大好きだった。寺田ヒロオの漫画には、リアルで等身大な人間がいた。大袈裟に騒ぎ立てて物語を作らず、リアルな人間のリアルな会話で組み立てていた。テラさんの描く物語には、悪人がいなかった。『暗闇五段』で最大の悪役、主人公の倉見を殺そうとまでした熊手も、最後には改心してしまう。そして倉見も、その改心をあっさりと受け容れてしまう。その代わりに、深い人間関係があった。弟子は師を思い、師は弟子を思う。師の娘の鬼ヒメは倉見を堂々と愛し、黒ひげは行方不明になった倉見を親身になって探し、倒れていた倉見を見つけた可憐なマツゲちゃんは、切なく倉見を慕う。たぶん、時代遅れになりつつあったんだと思う。もっと悪人は悪人らしく、派手な道具.立てで物語を進行させなければ、週刊誌で人気は得られない時代になりつつあったのだ。柔道をやるんなら、必殺技がいる。でもテラさんには、正確な柔道技はあっても、鬼面人を驚かす必殺技を作る必要性はなかったのだ。それが、寺田ヒロオという漫画家なのだ。この作品はこんなに面白いのに、残念ながらあまり人気は高くなかったらしい。この後、寺田ヒロオは少年誌の第一線から徐々に退いていくことになる。寺田ヒロオは、自分の漫画を貫くことの難しさに悩み、鬱屈の度を高めていった。あの明るいリーダーのテラさんの内面もまた、この時期は暗闇だったのかもしれない。初出「週刊少年サンデー」(小学館)1963年46号~1964年21号【著者紹介】昭和6年8月4日新潟県巻町生まれ。電電公社(現:NTT)に就職するが漫画家への夢を捨てきれず、昭和28年に上京。同年「漫画少年」での掲載からキャリアをスタートさせる。昭和32年6月まで東京椎名町のアパート「トキワ荘」で暮らし、若い漫画家たちと交流を深め、藤子不二雄氏らとともに“新漫画党”を結成。日本漫画界の発展に貢献した。代表作は『背番号0』『スポーツマン佐助』『スポーツマン金太郎』『もうれつ先生』『暗闇五段』など多数。平成4年永眠。