音楽物漫画は元々かなり好きで、長編も予算の許す限り他ジャンルよりも手にしたりする。
本書は全編蘭丸団もので楽しい。「わずか45回転のイブ」(1979年)だけ別単行本「ハリウッド・ゲーム」(面白いのにシーモア未UP)に収録。軽くてふざけてい
て、明るくてバカで、小さいことを吹き飛ばすノリがあって。仲間意識が強く、いい加減なようでいて音楽はキチンと演奏したい彼ら。
「わずか5センチのロック」(1976年)は、外見そっくり故にリードギターの身代わりとしてエアギターでも、とロックバンドに無理に引っ張り込まれた倫子が、バンドメンバーの一員として臨時要員ではなくプロパーになっていく話。
「わずか1/4の冗談」(1977年)は倫子が心持ち横ふっくら顔の女の子ビジュアルに変化、かわいらしいけど違和感少し。このストーリーのドタバタ、楽しめる人なら気に入ると思う。私は平河内二等兵が気に入っている。キャラでなくて、ストーリーを回すポジションが。それに彼、ここでは蘭丸団に貢献していないのに、後の作品ではキーパーソンとなる有用な人材。最後の方で甘利も肩透かしでホッとする成り行き自体、この話の肩の凝らない軽さ。前回の「わずか5インチのロック」とテイストの統一性を見せるところであり、シリーズ化への布石と思える。よくくらもち先生作品に描かれる思春期の苦味が、ここでは重苦しい側面を持たせず、極力楽天的解決で弾けていていい。
「わずか1小節のラララ」(1978年)は陰謀がパックリ倫子(細顔に戻った)に、刺客の刃が蘭丸団に、ロックコンテストの舞台裏でうごめく。倫子が疑わずにいるならと、メンバーは不在の倫子に最大限の信頼を示そうと、「善意」に応える形。すんでで倫子が課題克服で回避。
仲間とは何か、彼らにとって音楽とは。思いやり深いバンドの面々とのやり取りが、彼らの青春なんだなと感じる。
ラブ糖度低め。それはそうだろう。仲間は倫子を「女の子」扱いをする訳じゃない。倫子も彼らから女の子として迎えて貰ってちやほやとか壊れ物のように扱って欲しい訳ではない。握手で再びメンバーになった喜び、音に乗せて表現する喜びを知った倫子には重要なもの。もちろん佐藤あっての蘭丸団ではあるが、まだまだ彼ら全員にとっての蘭丸団が続くことを意味する締めくくりに、自然体に倫子と佐藤ちゃんが行くと見るしかないのだ。
このバンド仲間とキーボードをやる充実感を前面に出している話。
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