代表作を1、2作品発表してその大きさで生き延びる先生が多いと思うけれど、くらもち先生の場合、大長編の代表作などわざわざ要らない。サイズ手頃感ある作品で十分楽しめる。読者と編集サイドの延命注文は、作品の勢いを殺ぐ。無理な引延ばし明らかな中弛み
の退屈、ゴールポストの存在感低下。読み終えた後に何巻からは余分だった、と思えることもあるし、飽食感を押してここ迄折角来たのだから最後見届けよう、との意地で結末迄付き合ってしまった、ということもある。長編の罠で散財するより、中短編で小一時間リフレッシュする方が目先切り換えがサッパリとつく利点もある。先生は長くなくても魅力を放つ作品ばかり。
小遣い少ない十代、先生は信者多い作り手さんだった。
今読んでもくらもち先生ワールドにトリップ出来た。
それは、胸の中で呼び起こされる憧れや、自分のまわりの世界だけで全てだと思ってしまっていたあの頃のいろいろな感情。同じ経験をしてもいないのに、痛恨のエピソードを共有する感じ。主人公が大事に思っている価値観を共感出来てしまう不思議。
今よりきつい言葉も当時はある。何故かそれも、何かが甦ってくるような錯覚というか、主人公や相手の環境をクッキリ浮かび上がらせる作用というか。
「赤いガラス窓」は、3日前レビューした「なみだうさぎ」や、少女漫画読みブランク明けの私的に強い印象を残した「ストロボエッジ」を連想する、彼女持ちの彼の目をこちらに向けさせる話。但し、彼氏彼女の間柄には、明子さんへの免罪設定付き。
昭和51(1976)年発表。
デビュー作「メガネちゃんのひとりごと」(1972)、「うるわしのメガネちゃん」(1975)は、当時既に少女漫画で手垢の付いたメガネ=野暮ったいを逆手に取って、ストーリーに捻りを効かせた作品。
いまだにハーレクインでは、眼鏡を外せば美人だった、という、百万年前のネタがロマンス作りの一端を担う位だから、内容としては私は云々しない。
「金指輪」(1973)は、西洋舞台のストーリー全盛時代のど真ん中基本形の様な描かれ方。普通のも描けるんです、という感じ。
「いちごの五月館」(1976)は市川ジュン先生を彷彿とさせる柔らかさやメルヘン混じるも、焼け跡のメッセージ後の寄せ方がくらもち先生の味わい。当代人気作家だった余裕が感じ取れる。
1巻総合で見て4星と迷うも、展開の個性と随所に見られる絵柄の先生らしさで、5星。
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