正論で語れないBL
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コメディタッチな『おにくちゃん』(おもしろかった)のスピンオフです。
しかし痛い内容だ。そして、深い…
コマンドが 殴る しかない拳で語る系のやさぐれた将輝と、痛めつけられることに快感を覚えるお坊ちゃんな翼。
表面上は利害の一致する2人なのですが、蓋を開けてみればなんてことはない…痛みや暴力は根本の問題から目を逸らすための手段にすぎなかった。
暴力的な将輝に知力や思いやりがなかったわけではない。育児放棄されコミュニケーションを諦めてしまったのだ。そして要求を通すには(厳密にいうと関心を向けさせるには)暴力を使った方が手っ取り早いことに気づいてしまった…それを裏付けるかのごとく、将輝はのちに元カレ千明との交際の仕方を「失敗した」と弁解している。
また厳格な父に育てられた受けの翼は、どうも生きている実感を痛みに求めている節があり(知らんけど)諸々自覚があるゆえの罪悪感から自分を“獣“だと責め立てていらっしゃるが、物語を俯瞰できる立場のわたしに言わせてみれば……息子に怯える将輝の母、息子を駒のように扱う翼の父と、モブ中のモブである将輝の客(偽薬を買い求める中毒者)の方がよっぽど獣の様相を呈している。本当に獣じみた人たちは将輝や翼のように自分を責めたりも反省もしませんからね。
殴っても殴らなくても将輝の胸に飛び込んでくる翼。痛めつけずともやさしく翼を抱くことのできる将輝。この2人の間にそもそも暴力は必要だったのか。
たとえば仏教には六道という世界観が存在するけれども、人間、なにがきっかけでどの状態に陥るか分かったものではない。たとえ一時的に地獄や畜生道に落ち込んだとしても、自分次第で人間にでも天人にでもどうにでもなれるのだということを将輝と翼が身をもって証明してくれました。
もちの先生、BLに帰ってきてくださり本当にうれしいです。
物価高で大変な時代だけれど、やっぱりBLだけはやめられません←課金道一直線(閉じる)
レビュアー:hal