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※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。【電子版では、紙の雑誌と一部内容が異なる場合、掲載されないページや特別付録が含まれない場合がございます】【巻頭特集】Ⅵ号戦車B型ティーガーⅡ 1941年5月、ヒトラーは開発中の重戦車への長砲身8.8cm砲の装備を提案。これにより56口径8.8cm砲を持つティーガーⅠが開発されるが、実際にヒトラーが求めていたのは、さらに長砲身の71口径8.8cm砲を搭載した戦車であった。 1942年8月からヘンシェル社とポルシェ設計局が新型重戦車の設計に着手すると、ドイツ軍はヘンシェル案を採用し、1943年1月には正式発注。新型重戦車「ティーガーⅡ(ティーガーB型)」試作車は10月に完成し、12月から量産が開始された。 完成したティーガーⅡは、70トンクラスの巨体に71口径8.8cm砲という第二次世界大戦最強クラスの戦車砲を備え、装甲厚も車体前面は大きく傾斜した150mm、砲塔は湾曲した120mm(試作砲塔)あるいは180mm(量産砲塔)と、WWⅡ戦車の中で随一の防御力を誇った。 1944年夏のノルマンディー戦で初陣を飾ったティーガーⅡは、東西戦線でその絶大な攻防力を活かして奮闘。連合軍将兵からは「キングタイガー」と呼ばれ畏怖された。しかし生産数は500輌以下にとどまり、その大重量や燃費の悪さを起因とする使いづらさもあり、劣勢を覆すことはできなかった。それでも大戦終盤にドイツ機甲部隊最後の切り札として登場したティーガーⅡは、現代においても高い人気を誇っている。 本特集では、押しも押されもせぬWWⅡ最強の重戦車ティーガーⅡについて、戦歴、開発経緯、メカニズム、運用、生産型、エース、ライバル戦車など多方面から考察していく。[第二特集]九九式襲撃機 1930年代前半、日本陸軍は当時、ソ連空軍が開発していた各種の「シュトゥルモヴィーク」の情報に接し、これと同種の対地攻撃を主任務とする「襲撃機」の研究を開始する。折しも、日本陸軍航空隊は爆撃機の用法を、敵飛行場の在地飛行機の撃滅を目指す「航空撃滅戦」と定めており、これに好適な機種として襲撃機の計画が推進された。 キ五十一のキ番号が割り振られた本機は、昭和13年(1938年)1月31日に三菱重工に発注され、九七式軽爆(キ三〇)をベースに開発が進められた。当時の戦闘機に近い速度性能と軽快な運動性を持ち、運用性を考慮して固定脚を選択、最大200kgの爆弾搭載量と対空砲火に対処する装甲鈑を備えた。試作機の試験で良好な成績を収めたキ五十一は、昭和15年(1940年)5月11日に仮制式となり、九九式襲撃機と命名された。また、カメラ等偵察用機材を備える九九式軍偵察機も、本機の同一機種として開発されている。 九九式襲撃機/軍偵は日中戦争、太平洋戦争の戦闘に投入され、航空撃滅戦や地上部隊への近接支援任務で大きな活躍を見せている。太平洋戦争末期には旧式化は免れなかったが、特攻を含む各種任務に従事し、終戦に至るまで戦い続けた。 本特集では、日本陸軍の隠れた殊勲機である九九式襲撃機/軍偵について、メカニズム、開発経緯、戦歴、塗装、運用、部隊編制といった様々な側面から見ていこう。
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