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雑誌
MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.86(2024年夏号)
18巻配信中

MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.86(2024年夏号)

1,800pt/1,980円(税込)

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作品内容

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【電子版では、紙の雑誌と一部内容が異なる場合、掲載されないページや特別付録が含まれない場合がございます】

【巻頭特集】
星となった鉄十字の槍騎兵
メッサーシュミットBf109

 新生ドイツ空軍が1934年に提示した新型戦闘機競争試作に対し、メッサーシュミット社は小型軽量の機体に強力なエンジンを搭載し、一撃離脱戦法を得意とするBf109で応える。1936年にはBf109の採用が決定、次期主力戦闘機として量産が始まった。
 Bf109は同年に勃発したスペイン内戦に早速投入され、その優れた性能が証明された。そして1939年9月からの第二次世界大戦でも、Bf109E型がポーランド攻略、西方戦役で空軍の主力戦闘機として活躍。1940年夏のバトル・オブ・ブリテンでは宿敵スピットファイアと死闘を演じた。続く北アフリカ戦、バルバロッサ作戦ではBf109F型が投入され、米英ソの戦闘機相手に優位に戦いを進める。
 1941年秋からは決定版のBf109G型が登場するが、1943年に入ると連合軍の新型戦闘機に対して苦戦を免れなくなってきた。しかし、本来大戦後半には登場せねばならない後継機の開発が失敗したため、Bf109は老骨に鞭打って進化を続け、究極のBf109であるK型まで登場し、1945年春の終戦まで第一線で戦い続けたのである。ガランド、メルダース、マルセイユ、ハルトマン、バルクホルン、ラルなどBf109を駆った伝説的エースも数多く存在し、おそらく世界戦史上もっとも多くの敵機を撃墜した戦闘機といえるだろう。
 本特集では、戦闘機としては史上最多の約33,000機以上が生産され、ドイツ空軍の象徴のみならず、WWⅡ戦闘機を代表する機体であるBf109を、メカニズム、戦歴、生産型、開発経緯、編制・戦術、人物、塗装図など多角的に分析していく。

[第二特集]
帝国陸軍戦車部隊の発展期を支えた“鉄牛”
八九式中戦車イ号

 アメリカ陸軍は1934年には初の本格的国産軽戦車であるT2を開発。そのT2のサスペンションをVVSSとしたのがM2A1で、それを元に双銃塔式としたM2A2が開発された。続いて装甲を強化したM2A3が登場し、双銃塔を廃し単砲塔に50口径37㎜砲を搭載したM2A4も開発された。
 そして1939年、M2A4をさらに強化した新型戦車が開発されることとなった。この軽戦車は13トンの小型な車体に長砲身37㎜砲を装備、車体前面上部の装甲厚は38㎜と当時としては厚く、最大速度は58km/hを発揮。1940年7月にM3軽戦車として制式化され、1941年3月から量産が開始された。
 続いて、M3を元に新型エンジンを搭載し、傾斜装甲を取り入れた溶接構造の車体を持つ新型、M5軽戦車が開発され、1942年から生産が開始された。
 M3/M5軽戦車は合わせて2万輌以上が生産され、アメリカ軍のみならず、イギリス、ソ連など同盟国へ供与された。そして軽戦車としては高い攻防力、優れた機動力、さらに信頼性・実用性の高さが評価され、大戦前半~中盤の米英連合軍の主力軽戦車として活躍。英連邦軍では「スチュアート」と命名され、さらに現場では「ハニー」と呼ばれて愛用された。さらにM3を鹵獲した日本軍も優れた戦車として運用。戦後も各地の紛争などで使用されており、戦史に残る傑作軽戦車といえるだろう。
 この特集では大戦を通じて大きな存在感を見せたM3/M5スチュアートを、様々な面から考察していこう。

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  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.93(2026年春号)

    2,000pt/2,200円(税込)

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    【巻頭特集】
    英海軍を震撼せしめた高速のドイツ戦艦姉妹
    シャルンホルスト級戦艦

    巻頭特集では、大西洋における通商破壊戦で活躍し、厳重な警戒下にあった英仏海峡を突破(チャンネル・ダッシュ)したことで知られるシャルンホルスト級戦艦を徹底解説。
    大判イラストによる名シーンの再現や詳細な戦歴のほか、メカニズム、建造の経緯、運用と艦隊編制、艦型図、関連人物伝など、多角的な視点からその実像に迫る。

    【第二特集】
    ティーガーを討つべく生まれた米陸軍重戦車
    M26パーシング重戦車

    第二特集では、ドイツ陸軍のティーガーⅠ重戦車に対抗して開発されたアメリカ陸軍の重戦車、M26パーシングを取り上げる。
    第二次世界大戦では実戦投入期間こそ短かったものの、朝鮮戦争では主力として活躍。メカニズム、開発経緯、運用法、戦闘記録などを通じて、その性能と意義を詳しく解説する。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.92(2026年冬号)

    1,800pt/1,980円(税込)

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    【巻頭特集】
    一式陸上攻撃機

    日本海軍は1930年のロンドン海軍軍縮条約を受け、日米主力艦による決戦の前に米戦艦艦隊に大打撃を与える兵器として、陸上から発進して長距離を飛行し、敵艦に魚雷攻撃を加える「陸上攻撃機」の開発を開始した。
    これを受け開発された大型の九五式陸上攻撃機(大攻)は失敗作となり量産されなかったが、三菱の八試特殊偵察機をもとに開発された中型双発の九試陸上攻撃機は、四発機並みの破格の航続距離を発揮し、昭和11年(1936年)に九六式陸上攻撃機として採用された。
    そしてその九六陸攻の後継として三菱が開発したのが十二試陸攻で、長大な航続距離、更なる高速と高い抗堪性、強力な防御火力を備えた双発攻撃機であった。昭和16年(1941年)には一式陸上攻撃機として制式採用され、来るべき対英米戦の主力陸攻として各航空隊に配備される。
    太平洋戦争開戦劈頭、英海軍の戦艦2隻を撃沈したマレー沖海戦や、フィリピンの米航空基地爆撃など各戦線で戦果を挙げた一式陸攻であったが、昭和17年後半のガダルカナル戦の頃から苦戦が目立つようになる。そして大戦末期には、人間爆弾「桜花」の母機として悲壮な戦いに赴くことになった…。
    本特集では、零戦と同じく、日本海軍航空隊の栄光と凋落を象徴する機体といえる一式陸攻について、開発経緯、メカニズム、塗装、戦歴、運用、生産型、人物、ライバル爆撃機など多方面から解説していこう。

    【第二特集】
    ネルソン級戦艦

    第一次大戦の終結後、英海軍は日本とアメリカの新型戦艦に対抗すべく、新たな戦艦・巡洋戦艦の試案を検討する。だが、1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結されると、これらはすべて廃案となった。ただし、日本海軍の「陸奥」保有の引き換えに英海軍でも16インチ(40.6cm)砲搭載戦艦2隻の整備が可能となったことから、条約の定める基準排水量35,000トンの制限内で新たな戦艦を設計することとなった。
    新戦艦の設計は従前の試案のG3巡洋戦艦/N3戦艦案をベースに検討された。両案の特徴は、機関部より前に三連装主砲塔3基を配置、重防御が必要な主砲塔と弾火薬庫を集約することで、排水量を抑えながら耐弾性を強化するという点にあった。新戦艦はこれを踏襲しつつさらに発展させ、艦橋より前の艦前部に主砲塔3基を置くレイアウトを採用する。
    このような革新的な設計を採ったネルソン級戦艦は、1番艦「ネルソン」、2番艦「ロドネイ」がともに1927年に竣工した。本級は就役後、各種装備の不具合に悩まされ、操艦性能の不良などが指摘されつつも、英海軍最強の攻防性能を持つ戦艦として君臨し、第二次大戦では「ロドネイ」がビスマルク追撃戦で戦功を挙げる活躍を見せている。
    本特集では、異形とも言える形態ながら、欧州最強戦艦の座を占めたネルソン級戦艦について、メカニズム、開発経緯、戦歴、塗装、運用、部隊編制といった様々な側面から解説する。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.91(2025年秋号)

    1,800pt/1,980円(税込)

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    【巻頭特集】
    Ⅵ号戦車B型ティーガーⅡ

     1941年5月、ヒトラーは開発中の重戦車への長砲身8.8cm砲の装備を提案。これにより56口径8.8cm砲を持つティーガーⅠが開発されるが、実際にヒトラーが求めていたのは、さらに長砲身の71口径8.8cm砲を搭載した戦車であった。
     1942年8月からヘンシェル社とポルシェ設計局が新型重戦車の設計に着手すると、ドイツ軍はヘンシェル案を採用し、1943年1月には正式発注。新型重戦車「ティーガーⅡ(ティーガーB型)」試作車は10月に完成し、12月から量産が開始された。
     完成したティーガーⅡは、70トンクラスの巨体に71口径8.8cm砲という第二次世界大戦最強クラスの戦車砲を備え、装甲厚も車体前面は大きく傾斜した150mm、砲塔は湾曲した120mm(試作砲塔)あるいは180mm(量産砲塔)と、WWⅡ戦車の中で随一の防御力を誇った。
     1944年夏のノルマンディー戦で初陣を飾ったティーガーⅡは、東西戦線でその絶大な攻防力を活かして奮闘。連合軍将兵からは「キングタイガー」と呼ばれ畏怖された。しかし生産数は500輌以下にとどまり、その大重量や燃費の悪さを起因とする使いづらさもあり、劣勢を覆すことはできなかった。それでも大戦終盤にドイツ機甲部隊最後の切り札として登場したティーガーⅡは、現代においても高い人気を誇っている。
     本特集では、押しも押されもせぬWWⅡ最強の重戦車ティーガーⅡについて、戦歴、開発経緯、メカニズム、運用、生産型、エース、ライバル戦車など多方面から考察していく。

    [第二特集]
    九九式襲撃機

     1930年代前半、日本陸軍は当時、ソ連空軍が開発していた各種の「シュトゥルモヴィーク」の情報に接し、これと同種の対地攻撃を主任務とする「襲撃機」の研究を開始する。折しも、日本陸軍航空隊は爆撃機の用法を、敵飛行場の在地飛行機の撃滅を目指す「航空撃滅戦」と定めており、これに好適な機種として襲撃機の計画が推進された。
     キ五十一のキ番号が割り振られた本機は、昭和13年(1938年)1月31日に三菱重工に発注され、九七式軽爆(キ三〇)をベースに開発が進められた。当時の戦闘機に近い速度性能と軽快な運動性を持ち、運用性を考慮して固定脚を選択、最大200kgの爆弾搭載量と対空砲火に対処する装甲鈑を備えた。試作機の試験で良好な成績を収めたキ五十一は、昭和15年(1940年)5月11日に仮制式となり、九九式襲撃機と命名された。また、カメラ等偵察用機材を備える九九式軍偵察機も、本機の同一機種として開発されている。
     九九式襲撃機/軍偵は日中戦争、太平洋戦争の戦闘に投入され、航空撃滅戦や地上部隊への近接支援任務で大きな活躍を見せている。太平洋戦争末期には旧式化は免れなかったが、特攻を含む各種任務に従事し、終戦に至るまで戦い続けた。
     本特集では、日本陸軍の隠れた殊勲機である九九式襲撃機/軍偵について、メカニズム、開発経緯、戦歴、塗装、運用、部隊編制といった様々な側面から見ていこう。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.90(2025年夏号)

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    【巻頭特集】
    「雪風」と陽炎型駆逐艦

    日本海軍は1920年代、画期的な重武装かつ大型の駆逐艦、特型(吹雪型)を建造したが、ロンドン軍縮条約で保有制限を受けてしまう。そのため条約内でやや小型の初春型を建造したが、過重な兵装で失敗作となり、その改良型の白露型駆逐艦も満足できる性能ではなかった。その後条約明けを見越して2,000トンクラスの大型の朝潮型駆逐艦を建造したが、航続性能の不足やタービン翼の破損など問題は残った。
    そしてそれらの経験を活かして、1930年代後半に19隻が建造された日本の艦隊型駆逐艦の集大成が、甲型とも呼ばれる陽炎型駆逐艦であった。

    陽炎型は基準排水量2,000トンの船体に、5,000浬の航続力と35ノットの速力を備え、主砲は12.7cm連装砲3基、雷装は次発装填装置付きの61cm四連装魚雷発射管を備え、魚雷は必殺の酸素魚雷を有していた。艦隊決戦用の駆逐艦としては、第二次世界大戦前半は世界最強レベルの戦闘力と航洋性能を持つ優れた艦だったが、対水上戦に特化しており、対潜、対空戦闘力は乏しかった。

    太平洋戦争で陽炎型は、日本最強・最新の駆逐艦として大型艦の護衛、昼夜の水上戦闘、対潜・対空戦闘、輸送など様々な任務に投入され、大きな活躍を見せるものの次々と倒れていく。しかしその中で8番艦「雪風」は、大戦序盤のスラバヤ沖海戦から終盤の坊ノ岬沖海戦までほぼ全ての主要な会戦に参加、戦果を挙げつつもほぼ無傷で生き残り、「幸運艦」「奇跡の駆逐艦」と呼ばれるようになる。そして戦後は中華民国に引き渡され、「丹陽」として長らく活躍した。

    本特集では、日本海軍で最も著名な艦の一つである「雪風」とその姉妹たちについて、戦歴、建造経緯、メカニズム、運用、人物、ライバル艦など多角的に解説していく。

    [第二特集]
    WWⅡドイツ装甲列車

    装甲列車とは文字どおり鉄道を走行する列車に装甲を施したユニークな兵器である。武装と装甲を備え、十数輌が連結されて鉄路を走る移動要塞のような威容とは裏腹に、線路という限定された点と点を結んだ戦場でしか運用できないため、さほど有用な兵器でないと思われがちだ。

    しかし、火砲を搭載した車輌による強行偵察や、橋梁や駅などの奪取、鉄道付近の敵に対する攻撃、高い防御力を生かした後退の際の防御や退路の確保、はたまた対空戦闘や鉄路の警備など、 その任務は意外にも多岐に渡る。また、鉄道網が十分に発達したヨーロッパでは、最も簡単に大量の食料や弾薬などを輸送できる鉄道線路を安全に列車が走行できるよう、行動を共にしてそれを守る装甲列車は有効な兵器だったのである。

    装甲列車はソ連、ポーランド、ドイツ、チェコなど東欧~中欧で発達していたが、本特集では、ポーランドやソ連から装甲列車を鹵獲したり、自前で強力な装甲列車を開発したりとバリエーションが豊かだったドイツの装甲列車について見ていこう。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.89(2025年春号)

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    [巻頭特集]
    敵四発重爆を多数屠った重武装の双発戦闘機
    二式複座戦闘機「屠龍」

    巻頭特集では、エンジン2基を備え、37mm砲など単発戦闘機よりも強力な武装を搭載し、B-29やB-24など米軍の巨大な四発重爆撃機の迎撃に活躍した二式複座戦闘機「屠龍」を取り上げ、詳しい戦歴と名場面、メカニズム、開発経緯、生産型と派生型、運用と部隊編制、塗装図、コミックによる解説など、多角的に二式複戦を解説する。

    [第二特集]
    太平洋戦争緒戦の米海軍を支えた大型空母
    ヨークタウン級空母

    第二特集では、第二次世界大戦の前に「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ホーネット」の3隻が建造され、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、第二次及び第三次ソロモン海戦などで日本海軍の空母機動部隊と死闘を繰り広げたヨークタウン級空母について、詳しい戦歴、メカニズム、建造の経緯、運用と艦隊編制などを解説する。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.88(2025年冬号)

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    【巻頭特集】
    秋月型防空駆逐艦

    1935年(昭和10年)、英海軍は旧式巡洋艦を防空巡洋艦に改装して試験を実施。それに刺激を受けて、日本海軍でも昭和13年には空母に随伴して対空・対潜護衛に当たる、駆逐艦クラスの「直衛艦」の検討が始まった。軍令部の当初案では長10cm連装高角砲4基8門と爆雷兵装を装備、35ノットの高速力、18ノットで1万浬の航続性能が要求されていた。しかしこの案を満たすためには公試排水量4,000トンという軽巡並みの艦となるため、速力の要求は33ノットに、航続力は8,000浬に引き下げられた。さらに空母機動部隊の護衛艦として、敵警戒部隊と交戦する際や艦隊決戦時、魚雷が撃てない「直衛艦」は遊兵と化してしまうとの懸念があり、最低限の雷装(四連装魚雷発射管1基)も装備した「防空駆逐艦」となった。

    この防空駆逐艦は基準排水量2,700トン、全長134mの大型駆逐艦「秋月型」としてまとまり、昭和14年度の○四計画で6隻が建造された。さらに昭和16年の○急計画で10隻の建造が認められたが、戦局の悪化もあって10隻中6隻が完成し、計12隻が竣工したにとどまった。なお水上戦闘用艦隊型駆逐艦の陽炎型や夕雲型が甲型なのに対し、防空駆逐艦の秋月型は乙型と呼ばれる。

    新しいタイプの駆逐艦として期待された秋月型であったが、1番艦の「秋月」の竣工は、主力空母4隻が失われたミッドウェー海戦後の昭和17年6月11日で、秋月型が本来の空母直衛任務に当たる機会はあまり訪れなかった。

    本特集では日本海軍初の本格的な防空艦として建造された秋月型を、メカニズム、戦歴、建造の経緯、運用と編制、艦型の変遷、人物など多方面から解説していく。

    [第二特集]
    WWⅡドイツ対空戦車

    陸戦の王者と称される戦車も、戦闘爆撃機など空からの攻撃には弱い。そこでドイツ陸軍では大戦開戦後に、戦車部隊に随伴する自走式の高射機関砲の開発を開始。当初はハーフトラック(半装軌車)を改造し対空機関砲を搭載していた。

    しかしハーフトラックは装軌車に比べると機動性が大きく劣るため、戦車の車台に高射機関砲を搭載した自走高射機関砲を開発することとなった。

    まずⅣ号戦車の車台を元に、起倒式の戦闘室を備え、2cm四連装高射機関砲を備えた「メーベルヴァーゲン」が試作されたが、威力不足を不安視したヒトラーにより3.7cm機関砲1門への換装が命じられた。そして「つなぎ」として1943年11月から、2cm機関砲1門を搭載した38(t)式対空戦車が開発され、44年3月から3.7cm機関砲1門を搭載したメーベルヴァーゲンが生産された。

    だが起倒式の戦闘室は使いづらかったため、オープントップで算盤玉のような戦闘室に2cm四連装高射機関砲を備えたⅣ号対空戦車「ヴィルベルヴィント」が44年7月から生産された。

    さらに大威力の3.7cm機関砲を、ヴィルベルヴィントとよく似た砲塔に装備するⅣ号対空戦車「オストヴィント」も開発された。またⅣ号対空戦車シリーズの決定版として、密閉砲塔に3cm機関砲を搭載した「クーゲルブリッツ(球電)」が開発されたが、生産数は数両ほどだった。

    これらドイツ対空戦車は多くがノルマンディー戦後に配備され、大戦末期、猛威を振るう連合軍の戦闘爆撃機相手に奮闘し、一定の戦果を挙げている。

    本特集では、ユニークな外見でファンの多い第二次大戦のドイツ対空戦車を、様々な面から考察する。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.87(2024年秋号)

    1,800pt/1,980円(税込)

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    [巻頭特集]
    ティーガーⅠ重戦車

    巻頭では、装甲貫徹力に優れる56口径8.8cm戦車砲を搭載、自らは最大100mmを超える分厚い装甲を備え、その圧倒的攻防力によってドイツ軍が展開した各戦線で伝説的な活躍を見せたティーガーⅠ重戦車を特集。破格の性能を持つが1,300輌余りしか生産されなかった稀少な戦車であるティーガーⅠは、独立重戦車大隊に配備され、戦場の火消し役として特に重要な戦域に投入された。本特集では、このティーガーⅠのメカニズム、開発の経緯、運用と部隊編制、生産型、詳細な戦闘記録、ミハエル・ヴィットマンやオットー・カリウスなどティーガーⅠを駆って敵戦車を多数撃破した戦車エースについて解説する。


    [第二特集]
    WWⅡフランス戦闘機

    1940年5月にドイツ軍がフランスに侵攻した際の空の戦い「バトル・オブ・フランス」で活躍したモラン・ソルニエMS.406、ドヴォワティーヌD.520といったフランス国産戦闘機を取り上げ、これら複数の戦闘機の開発の経緯、メカニズム、詳細な戦闘記録、フランス戦闘機を駆ったエース(撃墜王)について解説する。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.86(2024年夏号)

    1,800pt/1,980円(税込)

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    【巻頭特集】
    星となった鉄十字の槍騎兵
    メッサーシュミットBf109

     新生ドイツ空軍が1934年に提示した新型戦闘機競争試作に対し、メッサーシュミット社は小型軽量の機体に強力なエンジンを搭載し、一撃離脱戦法を得意とするBf109で応える。1936年にはBf109の採用が決定、次期主力戦闘機として量産が始まった。
     Bf109は同年に勃発したスペイン内戦に早速投入され、その優れた性能が証明された。そして1939年9月からの第二次世界大戦でも、Bf109E型がポーランド攻略、西方戦役で空軍の主力戦闘機として活躍。1940年夏のバトル・オブ・ブリテンでは宿敵スピットファイアと死闘を演じた。続く北アフリカ戦、バルバロッサ作戦ではBf109F型が投入され、米英ソの戦闘機相手に優位に戦いを進める。
     1941年秋からは決定版のBf109G型が登場するが、1943年に入ると連合軍の新型戦闘機に対して苦戦を免れなくなってきた。しかし、本来大戦後半には登場せねばならない後継機の開発が失敗したため、Bf109は老骨に鞭打って進化を続け、究極のBf109であるK型まで登場し、1945年春の終戦まで第一線で戦い続けたのである。ガランド、メルダース、マルセイユ、ハルトマン、バルクホルン、ラルなどBf109を駆った伝説的エースも数多く存在し、おそらく世界戦史上もっとも多くの敵機を撃墜した戦闘機といえるだろう。
     本特集では、戦闘機としては史上最多の約33,000機以上が生産され、ドイツ空軍の象徴のみならず、WWⅡ戦闘機を代表する機体であるBf109を、メカニズム、戦歴、生産型、開発経緯、編制・戦術、人物、塗装図など多角的に分析していく。

    [第二特集]
    帝国陸軍戦車部隊の発展期を支えた“鉄牛”
    八九式中戦車イ号

     アメリカ陸軍は1934年には初の本格的国産軽戦車であるT2を開発。そのT2のサスペンションをVVSSとしたのがM2A1で、それを元に双銃塔式としたM2A2が開発された。続いて装甲を強化したM2A3が登場し、双銃塔を廃し単砲塔に50口径37㎜砲を搭載したM2A4も開発された。
     そして1939年、M2A4をさらに強化した新型戦車が開発されることとなった。この軽戦車は13トンの小型な車体に長砲身37㎜砲を装備、車体前面上部の装甲厚は38㎜と当時としては厚く、最大速度は58km/hを発揮。1940年7月にM3軽戦車として制式化され、1941年3月から量産が開始された。
     続いて、M3を元に新型エンジンを搭載し、傾斜装甲を取り入れた溶接構造の車体を持つ新型、M5軽戦車が開発され、1942年から生産が開始された。
     M3/M5軽戦車は合わせて2万輌以上が生産され、アメリカ軍のみならず、イギリス、ソ連など同盟国へ供与された。そして軽戦車としては高い攻防力、優れた機動力、さらに信頼性・実用性の高さが評価され、大戦前半~中盤の米英連合軍の主力軽戦車として活躍。英連邦軍では「スチュアート」と命名され、さらに現場では「ハニー」と呼ばれて愛用された。さらにM3を鹵獲した日本軍も優れた戦車として運用。戦後も各地の紛争などで使用されており、戦史に残る傑作軽戦車といえるだろう。
     この特集では大戦を通じて大きな存在感を見せたM3/M5スチュアートを、様々な面から考察していこう。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.85(2024年春号)

    1,800pt/1,980円(税込)

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    【巻頭特集】
    蒼天を征く伝説の龍
    空母「蒼龍」「飛龍」「雲龍」

     昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約を受け、日本海軍は昭和9年、基準排水量10,050トンの小型空母2隻を建造することを決定。当初は排水量に対して過大なスペックが要求されたが、結局は基準排水量15,900トン、搭載機57機、速力34.5ノット、島型艦橋を右舷に持つの中型空母「蒼龍」が昭和12年12月に竣工した。続いて「蒼龍」の改設計型として、排水量を17,300トンに増加し、艦橋を左舷に移した「飛龍」が建造され、昭和14年7月に竣工した。
     実験的な初の空母「鳳翔」、巡洋戦艦・戦艦から改造した大型空母「赤城」「加賀」、設計に無理があった小型空母「龍驤」と試行錯誤してきた日本海軍にとって、この「蒼龍」「飛龍」は初の新造中型空母であり、性能・実用性も十分なものであったため、以後の日本空母のひな形となった。
     実戦においても中国戦線での「蒼龍」をはじめとして、真珠湾攻撃、ウェーク島攻略、インド洋作戦で大きな活躍を収め、昭和17年のミッドウェー海戦では「蒼龍」が倒れる中、「飛龍」が驚異的な奮戦を見せたのちに戦没した。
     遡って昭和16年後半、米英戦を覚悟した日本海軍が戦時量産を企図した空母が、「飛龍」をベースとした雲龍型で、昭和19年に「雲龍」「天城」「葛城」の3隻が竣工したが、本来の艦隊型空母として戦うことはなかった。
     今回の特集では、中型空母「蒼龍」「飛龍」そして雲龍型を、建造の経緯、各部メカニズム、戦歴、搭載機、艦隊編成と運用、人物など多角的に紹介していく。


    [第二特集]
    快速で信頼性の高い傑作軽戦車
    M3/M5スチュアート軽戦車

     アメリカ陸軍は1934年には初の本格的国産軽戦車であるT2を開発。そのT2のサスペンションをVVSSとしたのがM2A1で、それを元に双銃塔式としたM2A2が開発された。続いて装甲を強化したM2A3が登場し、双銃塔を廃し単砲塔に50口径37㎜砲を搭載したM2A4も開発された。
     そして1939年、M2A4をさらに強化した新型戦車が開発されることとなった。この軽戦車は13トンの小型な車体に長砲身37㎜砲を装備、車体前面上部の装甲厚は38㎜と当時としては厚く、最大速度は58km/hを発揮。1940年7月にM3軽戦車として制式化され、1941年3月から量産が開始された。
     続いて、M3を元に新型エンジンを搭載し、傾斜装甲を取り入れた溶接構造の車体を持つ新型、M5軽戦車が開発され、1942年から生産が開始された。
     M3/M5軽戦車は合わせて2万輌以上が生産され、アメリカ軍のみならず、イギリス、ソ連など同盟国へ供与された。そして軽戦車としては高い攻防力、優れた機動力、さらに信頼性・実用性の高さが評価され、大戦前半~中盤の米英連合軍の主力軽戦車として活躍。英連邦軍では「スチュアート」と命名され、さらに現場では「ハニー」と呼ばれて愛用された。さらにM3を鹵獲した日本軍も優れた戦車として運用。戦後も各地の紛争などで使用されており、戦史に残る傑作軽戦車といえるだろう。
     この特集では大戦を通じて大きな存在感を見せたM3/M5スチュアートを、様々な面から考察していこう。
  • MILITARY CLASSICS (ミリタリー・クラシックス) Vol.84(2024冬号)

    1,800pt/1,980円(税込)

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    【電子版では、紙の雑誌と一部内容が異なる場合、掲載されないページや特別付録が含まれない場合がございます】【巻頭特集】
    戦い抜いた剛毅堅忍の軍馬
    Ⅳ号戦車

     1930年代、ドイツ陸軍は5トンクラスのⅠ号戦車と10トンクラスのⅡ号戦車を開発。そして来るべき主力戦車として開発されたのが長砲身3.7cm砲(後に5cm砲)を持つ15トン級のⅢ号戦車で、それらを火力支援する戦車として短砲身7.5cm砲搭載の20トン級のⅣ号戦車が開発された。
     大戦序盤、Ⅳ号戦車はⅢ号戦車とともにドイツ軍の勝利に大きく貢献するが、1941年6月に始まった独ソ戦では重装甲のT-34中戦車やKV重戦車に遭遇。Ⅲ号戦車の5cm砲では太刀打ちできないことが判明し、より車体の大きなⅣ号戦車に長砲身7.5cm砲が搭載されることになった。こうして生まれたのがⅣ号戦車F2型(後にG型に改称)で、1942年前半から前線に参戦。T-34や米英の中戦車も正面から撃破できるⅣ号戦車長砲身は、対戦車戦闘、対歩兵・陣地戦闘、どちらもこなせる新たな「主力戦車」となったのである。
     1943年夏からは後継のパンター中戦車も登場するが、数の面や信頼性の低さから完全な主力となるには至らず、Ⅳ号戦車は大戦の終盤までドイツ軍装甲部隊の中核として戦い続けたのである。戦車としてはドイツ軍最多の約8,500輌が生産され、大戦初期から終盤まで最前線に立ち続けたⅣ号戦車は、まさしく第二次世界大戦のドイツ陸軍を象徴する戦車といっていいだろう。
     本特集ではティーガーやパンターのような派手さはないものの、剛毅木訥な「軍馬」のように戦い抜いたⅣ号戦車を、様々な視点から考察していこう。



    [第二特集]
    日本海軍最速の韋駄天偵察機
    艦上偵察機 彩雲

     日本海軍は大戦前まで、空母機動部隊の偵察機としては三座の九七式艦上攻撃機を転用したり、戦艦・巡洋艦搭載の水上偵察機を使用していた。だが太平洋戦争が迫ると、広大な洋上を高速で飛行できる偵察機が必要となり、開戦直後の昭和17年1月、海軍は中島飛行機に本格的な艦上偵察機の試作を内示する。仕様では350ノット(648km/h)の高速と、4,630kmという単発機としては破格の航続性能が要求されていた。
     こうして開発された十七試艦上偵察機は、2,000馬力級発動機「誉」を搭載、洗練された設計で640km/h近い高速と長大な航続力、優れた離着艦性能を実現。「彩雲」として量産が決定され、昭和19年春から前線への配備が開始された。
     戦局の悪化から空母に搭載されることはなく、陸上基地から運用された彩雲は、昭和19年5月から本格的な偵察任務を開始、長大な航続距離と高速を活かして米海軍の動向を探り、大戦末期の海軍に貴重な情報をもたらしたが、戦局を覆すには至らなかった。また、その飛行性能を見込まれて、夜間戦闘機にも改造されている。
     ここからは「我に追いつくグラマン無し」の電文でつとに有名な、日本海軍機最速のスピードを誇った韋駄天偵察機・彩雲について、メカニズム、開発、戦歴、各型、塗装、人物など多角的に解説していこう。

    【新連載×2】
    ■「砲兵」から見た戦後戦史
    ■激うま! 世界の軍隊メニュー

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