※電子版では、紙の雑誌と内容が一部異なる場合や掲載されないページがあります、予めご了承ください。今から55年前の1970(昭和45)年、「人類の進歩と調和」をテーマに、日本万国博覧会(大阪万博)が大阪の千里丘陵で開催されました。昭和の高度経済成長期を象徴する国家的なイベントとして、1964(昭和39)年開催の「東京オリンピック」とともに今でも語り継がれています。この万博開催決定に伴い、当時は竹林が広がり未開発であった千里丘陵に向けて、会場アクセスとなる2つの鉄道ルートが整備されました。ひとつは新大阪止まりだった大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線を延伸して、新規に建設された北大阪急行電鉄へ直通するもの、もうひとつは地下鉄堺筋線を新規に建設し、既存の阪急千里線と相互乗り入れするものです。この両線の整備によって、万博会期中の総入場者数6,422万人のうち両線合わせて約2,100万人の輸送を実現、観客輸送に大きな役割を果たしました。目次口絵巻頭グラフ 千里丘陵を目指した2つの万博ルートはじめに1.御堂筋線と北大阪急行電鉄の相互乗り入れ 1.1 北大阪急行電鉄の創立と御堂筋線の延伸1.2 万博の輸送計画1.3 万博開催を控えた地下鉄と市電1.4 万博に備えた新造車両 -大阪市交通局30系と北急2000系-1.5 万博の開催から閉会まで1.6 万博期間中の車両運用と5000型貴賓車2.万博終了後の御堂筋線・北急用新造車両 2.1 交通局30系のその後2.2 北急7000・8000型のその後2.3 北急2000型のその後3.堺筋線と阪急電鉄との相互乗り入れ 3.1 堺筋線の相互乗り入れ先の選定3.2 阪急との相互乗り入れ交渉3.3 堺筋線の建設3.4 東吹田検車場について3.5 交通局60系90両の新造3.6 堺筋線の開通3.7 堺筋線と万博輸送4.万博終了後の堺筋線用車両 4.1 60系のその後4.2 60系の冷房改造について 4.3 60系の引退4.4 6014号の保存おわりに奥付・既刊紹介・英文