某サイトの試し読みから続きが読みたくて購入しました。
当方、脳性麻痺で肢体不自由児の長男を11年ほど育児と介助をしていました。
小学6年に進級して間もなく、起こってはいけない事故が起きてしまい長男は突然この世を去りました。長男は最重度の知的
障害もあり、味覚に関しては視力が弱かったせいか鈍麻なのかとにかくよく食べて落ち着きなく赤ちゃんのように動き回る子でした。体も大きい方で力も強く、これまでに何度も命に関わる事故がありました。彼が5歳の時、夫が2階の寝室から抱きかかえて降りようとした時に息子が暴れて階段から転落する事故が起きました。息子は無傷でしたが、夫は頸髄を損傷し身体障害者となりました。更に次男も小学校に進学した際に発達障害が発覚し、中学生の長女もこの家庭環境を我慢してきた反動で抜毛症を発症、全てを私一人で介助と家事をこなさなければいけない状況に追い込まれていきました。
私と長男は肢体不自由児のクラスだったのですが、医療ケアや食事の二次調理(食べやすいように刻んだり潰したりする事)が必要なかったので極めて軽い方だったのかもしれません。でも全介助で歩く事はできないので車椅子を使用していました。
色々言う職員さんもいますねー。毎日が状況が違っていて、長女を小学校に行かせて、次男を子供園に送り、目が離せない長男の支度をして何度支度を急いでも療育の時間に遅れてしまう、、、療育センターまで車で40分かかり送迎だけでもくたびれてしまう、遅刻は良くないのですが頭ごなしに非常識だのだらしないだの言う職員はいましたよ。『私たち職員には守秘義務があるから話した内容は誰にも言わない』などと個人的な連絡のやり取りも要求してきたので、退職前は市職員をしていた夫に話すと『規定違反だろ!!』と激怒していました。その後その職員さんは遠方の事業所へ飛ばされましたが、たまに病院で会おうものなら駐車場で長話、、『〇〇くん久しぶりー!元気しとった?』おいおい息子39度の熱でぐったりしてるんやけど(怒)
めちゃくちゃ長くなりましたが、作品を読んで色々思い出しムーちゃんのような子が通う特別支援学校の発達クラスの児童さんの事は知らない事が多かったです。
毎話毎のコラムを読んで、当時長男が取っていた行動にこういう意味があったんだなと色々と思い返しながら、次男に繋げていけたらなと思います。
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