漫画(まんが)・電子書籍ならコミックシーモア!
コミックシーモアをご利用の際はWebブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてください。
→(参考)ブラウザでJavaScriptを許可する ※外部サイトへ遷移します
巻(見開き形式)について
セーフサーチ?
シーモアを楽しもう!
総合ランキング
もっと見る
全書籍から探す
1,400pt/1,540円(税込)
会員登録限定70%OFFクーポンで 420pt/462円(税込)
会員登録して70%OFFで購入
お気に入りに追加
小説・実用書
ランキング
最新刊を見る
新刊自動購入
戦後75年が経ち、戦争の実像について最も説得力を持つはずの直接体験者たちの「証言」が聞けなくなるという時代が、もうそこまで来ている。そんな時代を迎えても私たちは戦争という歴史を継承していくことができるだろうか? できる、というのが著者の立場である。ただしそのためには条件がある。ひとつは、「語り手―聞き手」という一方向的な関係のありかたを、あえて批判的に見直すこと。もうひとつは、活字や語りのほかに、映像や遺品など、感覚に直接訴えかけてくるものを材料とし「メディア」と捉えて、積極的に意義を見出す立場に立つことだ。これらを前提として、「語り部なき時代」にどうすれば「戦争のリアル」をつかむことができるのかを探求するのが本書である。 著者はまず、戦争証言によくある「あの戦争」という言葉が「スルー」されていたことを指摘する。つまり、この言葉で指示される「戦争の実像」について、語り手と聞き手とがイメージを共有していないことが、どこかで感じられながらも不問に付されてきたことが、戦争の継承を不完全にしてきたのではないかと問題提起するのだ。 こうした「不完全な継承」の実例を、2005年以降爆発的に増加した戦争番組、とくにテレビドキュメンタリーの中で語られる「証言」の数々に見出す。そこではメディアで有名な雄弁な語り手も、訥々としか話さない無名の語り手も等しく、戦争が伝わっていないことに「もどかしさ」を覚えていた。戦後を振り返ってみれば、NHKを中心としてテレビドキュメンタリーにはさまざまな証言が現れていたが、共有できないためにそれを受け止められない「戦争を知らない子供たち」がつねに存在していた。 「語り」で伝えられないならどうするのか? 著者は第一人者として発掘してきた全国の「小型映画」、すなわち戦中の9.5ミリビデオに着目する。そこには戦時下のイメージに反する「充実した銃後の生活」が記録され、現代の感覚からは理解しづらい画面構成や人々の表情が見られるのだ。ここには「それを素材として語り合う」ことを誘発する何かがある。さらに、沖縄の平和祈念資料館とリニューアルしたばかりの広島の平和記念資料館とを対比し、特に沖縄の資料館において、遺品と米軍から買い集めた映像について「自ら考える」ように仕向けられた展示方法が効果的であることを見出す。こうして、小型映画の例と合わせ、視覚的メディアを材料として自ら考えることによる、戦争の実像把握の可能性が明らかになる。 そして、神奈川での戦争体験の語りの場、鹿児島での戦中事故の継承の場に継続的に参加することで、語り手に特権的な立場を与えず聞き手から疑義を出させ、証言間の齟齬を許容し、記憶の精確さよりも議論の自由を保証することなどの重要性を明らかにする。 こうして、記憶よりも映像などの記録を材料とし、一方的な語りよりも多方向的な議論の場を確保することが、これからの戦争の継承に有効であることを実証していく。戦争をはじめ事件や災害などさまざまな歴史の継承に重要な貢献をなす、類例のない提言の書となるだろう。
9784140912638
レビュー募集中!
レビュー投稿で最大1000pt!
1位
婚約者の王子に毒を盛られたので愛が冷めました
2位
十二国記
3位
さようなら王子様、どうか私のことは忘れてください
4位
公爵家の長女でした
5位
魔法の庭ものがたり
6位
ゲッターズ飯田の五星三心占い2027
7位
8位
マッチング
9位
結界師の一輪華
10位
かくして魔法使いノイ・ガレネーは100年後、花嫁となった
11位
12位
マーリ・アルメイダの七つの月
13位
マンガ家と作るBLポーズ集 ラブシーンデッサン集
14位
15位
16位
青い瞳の花嫁
17位
シークレット・オブ・シークレッツ
18位
ニューヨークで考え中
19位
20位
自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学
小説・実用書 > 小説・実用書
小説・実用書 > 水島久光
小説・実用書 > NHK出版
page top▲