何十回読んだか知れない。沢山泣いてしまってきているが若かったのだろう、当時は果敢に短期間乍ら高頻度で読んでいた。後年は、より涙脆くなって落涙フィクションはどちらかと言えば敬遠して久しく、シーモア島で書名を見て、うずきだし40年以上ぶりの読み
返しをした。白泉社版ではないのだが。
「うるわしのおにいちゃんたち」に発表当時の少女漫画の美意識を感じる。トリアが主人公の形式だが、フリーのほうに感情移入させられる構造。胸にくる。
1巻目初めの頃のギャグシーンは山本鈴美香先生の雰囲気を思い出した。40頁の下の方には大島弓子先生の作画のようなモブキャラが。2巻目49頁には萩尾望都先生のエドガーもお出ましだ。
読み始めると思い出す思い出す、頁毎にコマ毎に、ああそうだったそうだったと、多感な頃に木原先生作品が少女漫画黄金期の一角を成していたな、と実感。とそして、現在の自分が、何もかも記憶に甦ってきていても尚、こうも新鮮にぐずぐずに泣かされること、我ながら驚きだ。
そしてマダムセメレー初登場シーンや一家の空気のどことなくひんやりした感じも、そうそうあったあった、と感触を再び確かめた。伏線の上手い張られ方に、展開の見事さが現れてる!「銀河荘」の名前にもリンクさせて仕込み完璧。
同時収録「いとし君へのセレナーデ」(47頁)にもその名を持ち出してきて、話は異なるのに小技で2作品をとり結ぶ。この話がこれまた涙を過去振り絞らされたにも拘らず、いまだに泣かされて、先生の語り口は別世代の自分にそれぞれ届くと思い知った。(脱線するがハイデルベルグ大に留学した同僚に親近感持ったし、旅行する度その同時収録作の舞台なのだと胸踊らせた)
可愛くて頼りなさげな男の子、でも、健気で思いやりが深くて、素直で、綺麗で、さびしかった男の子。愛し愛される、という立ち位置。女の子は意地を張ってちょっとかわいくはない場面も。
吸血鬼物は何故か物語初期に正体が読者(観客)にバレている構成が多く、そして彼らの危うい妖しさ、難しさ際どさが、気を持たせ、スリルある展開が用意される。人間の姿をし、外見に見分けは付かず、独特の魅力を放つ存在。
本作は出自の捻りを最後まで活かしきって素晴らしい。
男女観は時代を映していて、現代の視点に立つと受け入れにくさはある。
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