何が作用して、何が影響し合って、そこは所謂擦れ違いみたいなものを幾度も繰り返したとしても、本質的には接近の時期が来る。遅かれ早かれ、導かれるように結ばれていく。人の気持ちの介在によって、近づきそうになっては、タイミングのズレやら、僅かな視界
の行き違いがあって、交錯の機は熟していない。いずれは出会う。その見えない繋がりは、周囲の思惑が遭遇を遠ざけてるようで居て、結局は向かうところに向かっていってる。運命とか赤い糸とか、出会いとは何の偶然かと、どんな奇跡が起きて、とか、そうした誰もが心の底に感じるものを、必然という形で呈示してきた感じ。それを「月のパルス」と。
世の中、家庭、厳しい複雑な環境下であろうとも、冷酷な自分勝手な人間関係に見えても、ドライに感じていた中には、ウェットなところがある。
誰かが巧まざる出会いを導く。誰かが出会いを願って(?)導く。そんな無数の推して引いての動きの先にある不可避の行く末。
理屈では言い表せない心霊的な結びつきを、薄気味悪く実体の無い何か、として、絵として描いた。
思春期の不安とそのベースとなる不安定、その時期に最も顕在化しやすい家族関係の行き詰まる緊張や押しつけ合うエゴ、それでも家族としてなり立たせている体感的相互理解のようなもの、それを宇太郎にとっては現実のものとして描かれた。
果たしてどう相手に辿り着くのか、普通は見えない物が(宇太郎には見えたが)そこに有ったんだよ、感じるんだ、と作者に言われている、そんな気にさせる作品。珍しく、遠回しながらも語ってきた、という風に思った。
ドラマ作りのセオリー的には、登場が早い程読み手はそのキャラの方に親近感を持つから、ツキちゃんの遅れた顔出しは、紀を主人公に見たてる読み手には彼女の気持ちに寄り添いがち。この漫画家のことだからそこにもクリエイター魂が挑戦を煽ったかもしれないが、ツキちゃんの描写がやや押されてしまって、宇太郎のモヤモヤが読み手の心のモヤモヤに、今度は移った格好になってるかも。
ツキちゃんの名前=「月」を入れ込む周到さ、呼応するように「宇」。複雑な環境、又は一般的に関心が行く年頃なのに恋愛になぞかまけてられない立場と、対照的に好きな人には行動的なキャラの紀ちゃん側は家族等に厳しい要素が一切無さそうに感じさせる普通感を前面に出すことで、読み手の思い入れのリバランス狙いを感じた。
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