レイントリー Ⅲ イヴが眠りにつくまで
」のレビュー

レイントリー Ⅲ イヴが眠りにつくまで

藤田和子/ビバリー・バートン

なぜ戦うの?どんな理由があるの?

ネタバレ
2019年3月24日
このレビューはネタバレを含みます▼ 戦いを止めるために戦うという、戦う者には戦いに対する理屈がある事がある。このストーリーはその戦う事そのものへの疑問が底に有るから、憎悪の増幅器となっている扇動者である親分格を一発で倒し、後は戦わず武装解除だ。

ヒロインは迷う。善の為に戦うと思っていたけれど、自分達が善なのか?と。この根源的哲学問答は、戦いが、いずれか一方だけが果たして正義なのか突き止められない性質を帯びることを示すようだ。

人は振り上げた拳を下ろすのが大変だ。「昔からずっと戦っていたから?/過去ばかりを見て未来を見ないの?」クライマックスでのヒロインの悲痛な問いかけに、敵対し合う両勢力の愛の結晶が自ら答えを呈示する。

HQは、ラブの全面肯定で憎しみを憎しみで返さず遠ざけるのが、どうやら中心的思想みたいなものだから、身内を、または無辜の人を殺めた怒りを、怒りで以て返したりすることなく、不毛の果てしない対立にさえも終止符をサクッと打つ。
敵対し合う両勢力の頂上決戦とする形にしなかったこと、単なるアンサラの内ゲバの最小の流血にとどめていることは、そのストーリーの趣旨に沿わせるためだろう。

このプリンセス編(妹編)を完結巻にしなくては、兄弟のストーリーのような存在意義はなくなってしまう。初めから妹編だけで十分、となってしまう。
兄二人いてレイントリー「一族」の物語を構成することで、組織的な対立の構図が浮かび上がる。(但し原作者が異なる為、各作者の担当次第で別シナリオで決着した可能性を思うと、私はギデオン編の作者の作品で妹編を見てみたかった気持ちがある。)

ただ、アンサラ側の武闘派の状況、納得の撤退なのか、もうわだかまりが残っていなかったか、少し見せて欲しかった。事後、転向の経過報告のコマは有るが。
例えば、イヴの出現によって戦闘意欲を、喪失したのだったのなら、そうという所を。
敵意(カイルに具象)自体が敵なのであり、人間ではないという姿勢は明確。

ユダという名前がなんともいえないが、ユダの柳腰がセクシー。

融和には愛で結ばれることが必要と、こうした対決ものの構図に必須の公式がこの結末に結び付くが、そのプロセスはHQならではのメイン二人のシーンがしっかりとあって、HQを読んでる意義は失なっていないしで、満足。

円満な企業統合みたいな命名に笑った。
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