いじめるアイツが悪いのか、いじめられた僕が悪いのか?
君塚力/日丘円
たん
さん
(女性/30代)
総レビュー数:10件
このレビューはネタバレを含みます▼
欧米ではいじめが起こった場合、まずいじめをした加害者の心に問題があると考えるそうです。加害者更生プログラムとして、いじめた加害者に精神科医をつけて、親の教育、家庭環境、価値観などが主だった原因を探り、解決しようとするのです。
日本では真逆ですね。この漫画の主人公が言うように我慢するのはいつも被害者。テレビで、いじめの被害者が逆境をバネに自力で克服した経験が美談で語られていたりもします。でも、実際にはそんな力がある子ばかりじゃない。いじめられた被害者がドロップアウトすることで被害から逃れている。もしくは悲惨な結果、被害者が被害者自身を傷つけることで、加害者へ一矢報いるという極端な選択肢しか思い浮かばなくなった事例もあります。
外へ暴力をすることで心の鬱憤を晴らす加害者も、自分を痛めつけ我慢することしか選択できない被害者も、真逆のようですが暴力性が外に向くか内に向くかだけの違いで、若さゆえに自己に悩んでいるのは同じです。作中でも、被害者加害者ともに思い悩んでいる姿が書かれています。(加害者の中には、鈴木のような更生しようのないサイコパスもいるのかもしれませんが、、)
ですが、外に暴力性が向いた人が行った行為で、人が被害を被ったらそれは犯罪です。作品中で行われているいじめは、もちろん犯罪の域だと思います。ゆえに、悪いのはいじめた加害者です。学校の中を聖域にすることで、犯罪を裁かないことは社会にとってどうなのでしょうか。加害者は更生の機会を逃してさらに助長し、被害者は悔しさを一生募らせるかもしれません。
まず学校内でも犯罪が当然起こりうることとして認めることが第一歩なのではないでしょうか?
そして教育委員会とは全く別の外部第三者委員会などが事実判定をし、裁く、加害者に更生プログラムを課すなど、何かよいシステムを構築してくれれば良いのに、、といつも思います。
そうすれば教師も教育委員会も安心して教育に専念でき、何より保身に走らなくて済むでしょうから。。
読むだけで痛ましい漫画ですが、問題提起になればいいなという思いも含めて、レビューします。
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