藤田の生首
」のレビュー

藤田の生首

小骨トモ

社会は個性を赦さない

ネタバレ
2023年5月30日
このレビューはネタバレを含みます▼ 生首は藤田にとってのアイデンティティだったということかな。
小学生特有の「〇〇菌」遊び(いじめ)に晒された藤田にとって、生首は自分だけの居場所であり自分が自分として存在できるための「媒介」のようなものだった。

クラスメイト(周囲や世間、社会集団)との軋轢に苦しみ、自分という存在を集団の中に見出せない少年にとって、クラスメイト(社会)と打ち解ける為には生首(自分という存在)を破壊・否定する必要があった。あるいは、周囲の圧がそれを強要してしまった。
最後のコマで打ち捨てられた「藤田の生首」は、藤田本来の人間性を自らの手で殺してしまったという意味合いだと受け取った。

藤田が生首に対して性的行為を試みる場面で、生首の顔が歪んで見えたのは、友達である生首に対して酷いことをしてしまった罪悪感と、友達を女(友達ではない別のモノ)と見做してしまった背徳感からのものであると推察する。


誰もが社会を生きる為には自分を殺さなければいけない。何故なら、少数は「間違い」で多数は「正解」だから。集団の中に「間違った」者が在ってはならない。みんな違ったらいけないのだ。「みんな」の中に「僕」は含まれていないのだから。
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