このレビューはネタバレを含みます▼
以前シーモア島で教えてもらいずっと気になっていた作品。2作目まで読了。
ペディグリーといえば、私は犬が食べるあれを真っ先に思い出すが、ペディグリーとは血統とかを意味するそうだ。そしてこの作品は、そのペディグリーの違いというのがポイントとなっている。
庶民の血が混じっている日本生まれ日本育ちの礼(受け)と、こてこて英国貴族なエド(攻め)。二人は2歳しか年が違わず、出会ったときは二人とも10代なのでうっかり忘れそうになるのだが、礼が叔父で、エドは甥という関係である。ただし叔父と甥という関係性自体は物語の中で全然問題になっていない。それより庶民と貴族という血統の違いのほうが問題なのだ。私としては、叔父と甥であることのほうが最初気になったのだが、美少年同士のやり取りに甥叔父感?みたいなものが皆無すぎてだんだんと忘れてしまった、でもなんか気にはなる。
礼はうぶで健気で身よりもなく、1作目では本当にひどい目にあう可哀想な子として描かれていて、私はかわいそうな受けがあまり得意ではないのだが、1作目から2作目にかけて礼自身がどんどん変化し、彼を取り巻く人々も好意的なものになっていくので、暗いだけではなかったのが救いだった。ただ、本作の理屈というか、設定がちょっと腑に落ちない部分もあって、読解力の問題かな?
タイトルがパブリックスクールだったので、寮の中で話が終わるのかと思いきや、2作目途中から8年後の話になり、大人になった礼とエドの物語も展開され出したのは意外だった。
本作にある、誰かを本気で愛したからこそ、別の誰かもまた愛せるという考え方は好きだ。愛って誰か一人に対しての唯一で排他的なものではないはず。と、偉そうに思ってみた。
礼が終始鈍感で、特にエドとの関係については後ろ向きな考え方しかしないのをうっとうしいと思うか、健気でかわいいと思うかで好き嫌いが分かれそう。エドはBLでよく見かける乱暴でそっけない態度の裏に受けへの深い愛情を隠しているというタイプ。
礼とエドは愛し合っているけれど、血統の問題で二人の関係はすんなりいかない。血統とか育ちとかって、私は気持ちの悪い、面倒な価値観だと思っている。でも気持ち悪いとか思いながら、いわゆる上流階級とか、やんごとなき方々に対する逆差別の意識を自分の中から完全に排除できていないのも事実で、厄介だなとこの作品を読みながら思った。