2世と器
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2世と器

戸ヶ谷新

この2人の関係性を何と名付けるべきか

ネタバレ
2025年2月10日
このレビューはネタバレを含みます▼ この2人の間にあるのは果たして恋愛感情なのだろうか。

自我を殺され、親に貼り付けられた仮面の下で生きていた永真にとって、その事情を知り仮面の下に向けて話をしてくれる春一は救いである。
永真が春一に求めていたものは話を通して変化する。
最初、永真から見た春一は一般体であり失われていた体験を導いてくれる存在だった。その意味で、春一は永真の親のような存在である。
終盤になってもその根本的なところは変わってないように見受けられる。ただ大きな違いがあるとすれば、それは永真が春一の事を慮っている点である。最初は自己開発目的で春一と関わっていた所もあるが、物語が進むにつれ春一を救うことにも目的を見出している。

2人の共通点、相違点について。
母親が宗教に固執しているのは共通する性質である。
相違する点は、母親の態度である。
春一の母親はあくまで家族愛から来るところの逃避として宗教に固執している。
永真の母親は、自己保身から来る逃避として宗教に固執している。いわゆる教育ママの行き過ぎバージョンみたいな。
しかし、永真の母親は良い意味で人間臭い人である。永真に暴力を奮っているのは恐らく最後の捕まる前のシーンだけである。永真にお仕置をするシーンでも他人に暴力的な事を任せている。この様子からも、永真を永真として見ることはないが、どこかで永真という息子を見ており母親として外道には落ちきれないでいることが分かる。

しかし、永真は母親のことを心から嫌っている。当たり前である。人間臭さなんて永真には知ったことでは無い。愛してくれなかったのが、自我を抑圧させられたのが全てなのだ。

そんな歪んだものを向けられてきた永真と春一の2人の共通性質に、自己証明願望がある。親が息子達に憎悪以外の何かを向けていたとしても、親が息子達に向き合っていないことは事実である。向き合ってくれないのだから、自分を見て欲しくなる。認めて欲しくなる。
そんなように擦り切れた2人が出会って、お互いを満たし合うのがこの話。この感情をなんと呼ぶ?私はこの2人の間の感情を家族愛に近しいものだと考えた。
この本を読んだ他の方はどう思うだろうか。名作であるのでこの話を読んで是非とも自分なりの解釈を持って欲しい。
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