このレビューはネタバレを含みます▼
女性たち男性たち、どちらにも共感した。
ある女性の会話を楽しみたいという微笑ましい気持ちに共感した。
同時にとっとと身体の関係を持つことで男をものにしたい気持ちを持つに至った女性の絶望感にも共鳴した。
誰だって初めは人と人との間に心と心を分かち合える関係を築きたいと願ったはずなのにそれが見果てぬ夢だと気付かされる時がある。
早くにその時がきてしまった人からすれば、まだその時が来ていない人のことはどれほど妬ましいことか。
東大生たちの深く考えることをしようとしない態度には心がえぐられた。
けれどきっとこういう問題をおこさずにいられる東大生は問題をおこした人たちよりもずっと強かで要領がよく深く考えることをそもそもしたいとさえ願わない人たちなのではないかと思った。
深く考えると言うのは、なぜ偏差値によって大学の序列が決められているのか。偏差値によって序列を決めるのが正しいことなのかどうか。
大学の入試問題で問われる知識は果たして本当に大切な知識なのか。
大学で学ぶに値することとは何か。
そもそも大学で教授のご機嫌とりをしなければ単位を得ることができないシステムをどうとらえるのか。
東大が偏差値が一番高いからという理由で東大に行かざるをえない人はどうするのか。
高校生の段階で未成年の段階で、本当に行きたい大学を選べるわけでもない。
親や教師、塾や予備校の講師も含めてそんな自由を高校生に与えているとも思えない。
東大生たちの今までの人生で自分の頭で考えたことや感じた気持ちを大切にしてもらえなかったことを示唆する描写が何度かあった。
私はこの東大生たちを責めることが正しいことだとは思えない。
あんなにも酷いことをしたのにもかかわらず。
それだけの絶望を感じた。
だからといってあの女性があんな目にあわなければいけない理由も一つもない。
こんなことが二度とおこらないようにするには大学間、学部間に序列を作っている現状そのものを問題視するべきだと思う。
この小説を読んで男女問わず要領よくやることを求められても上手く出来ない人たちの悲鳴が聞こえてくるようでした。
だから要領よく出来てしまう人たちにはこの問題を解決することは出来ないとも思う。
きっと人から大切にされたことのある人は人から大切にされるという経験ががどれほど奇跡なのか分からないのではないか。