信じてくれてない、と感じたらそれはひとつの何かがそこで、死んでる。そこに疑惑の種が有ったか無かったか、疑われかねない何か材料が有ったとしても、信じていない事実だけで、壊れるだろう。
そんな事をする人間だと思っていたのかと、絶望もするだろう
。
確かに悪意の存在がある。そして、裁きを十分受けたとは言い難い。そうやって、程度の差こそあれ、他人の足元をすくうような嘘をつく人間が、残念ながら居る。なまじ溶け込んで人間関係を築いて、そういうことをするだろう人物だなんて、誰も認めなかったり。他人が幸せに見えるらしくて、八つ当たりの妬みを抱く輩は居るものだ。これ、読んでいてその悪意が生まれた背景を、私は共感してあげることは無い。
やることが、念がいっていて、そこまでやったか、と到底許容できない。他人を不幸に陥れる、少しも自分の幸せを守るためのものでもなかった、最もタチの悪いものだから。
信じてあげられなかったヒロインは、信じなかった「罰」は別離の時によって受けたわけではない。彼もまた、別離の時を過ごして、羽を伸ばして楽しんだ訳ではないから。
この話は原題の通り、彼のヒロインへの愛(熱情)が、再会を呼び込んだ。彼の執念なかりせばあり得なかった。それでもなお、頑なになるヒロインは、愛されることを望みながら、彼の自分へのこだわりが解っても尚100%自分を見て、と言っている面倒臭いタイプにしか思えない。
この話は、彼サイドにも、ヒロインが疑うのは無理はないとする根拠を置いて、歩み寄りの中間材料的に用意しているが、現実嘘をついている人物が白状してくれるなんてまず無い。
信頼関係とは、信じるかどうか、それだけだと思う。
肉体に溺れるシーンが多目で、そこまでビジュアルに入れる必要あったか?と思う。
一度の浮気を乗り越えてその後幸せな家庭を築く妹の事が余計に、この話の、「罪」を犯した人よりもそれをどうとらえるか、が主眼の話かと思わせる。身の回り問題さえその程度の裏付けで真偽を確定視する人間が、秘書(事後説明した?)を付けられる地位を、結婚退職でブランク後にテレビ局で確保とはおとぎ話過ぎ。社内の力関係、女王様然りで、そもそもそこからして同性ながら女性に甘過ぎ設定に見えて、少々白けた。
ヒロインの一方的被害妄想の正当化(生育環境面)がさんざん前面に出過ぎて、彼の被害のほうがないがしろにされてる。
もっとみる▼