確かに簡単に話が動いて結末まで行くのはイージーだから、まだ何かあるなとは予想できた。頁数の進捗からいっても。
だが、いきなり事件、そしてまた事件。
最もメインにしたかったのは、その牧師の娘、ということだろう。元々の柱のためには主要な部分なのに、こちらがどこか居心地の悪い構成に感じるのは何故?この物語後半戦にB卿がやいばをいきなり向けるから。
2巻目のことを早く匂わせては1巻目の甘さに傷がついてしまうし、難しいのは難しいのだろう、確かに。
それでも、1巻目と2巻目とがここまでテイストの異なる読み物だと、2巻目の立ち位置が本当に微妙になってしまう。しかも2巻目の柱も、事件性に目が行ってしまいがちで、犯罪の動機が相対的に背後に回り過ぎた。
爵位なんてどうでもいいものだと言い切る術の一つが、この親子を形作っている心の底に流れている、しなやかな考えであり、生き方であり、更に、マクシミリアンさえも、無用の飾りとばかりに幾つもの爵位をぶら下げている人物。
こちらを描きたい意図を感じ取らせながら、それだけでは、デビュッタントを控えた年頃の女の子の、本当の恋が描けない。
テイストの分離は逃れられないのか。
もっと犯罪者の出番に1巻目と2巻目とを渡る材料を潜り込ませられなかったかな、とは思う。
「幸せに暮らしましたとさ」の金太郎飴的終わり方を避けて、結末一頁を縮めて、マックスの母親の登場の分量より、重要な、ある意味真反対な、貧乏でも楽しい代理牧師ファミリーの成り立ち。子沢山で賑やかで、でもやっぱり幼子の生活がかかっている、という様子と、怖い犯罪者登場、のところが1巻2巻を、繋ぐ気がする。
冒険、は、危険、の間違いではないかという気がしてしまう。
全くの余談だが、作品構成中、1巻目終わりとこの2巻目の序盤、時系列に沿っていない。
よくあるドラマの仕立て方だが、とあるレビュー(HQではない)で理解されていないばかりか、作者が糾弾されいるのを読んだことがある。
最近ではアニメ「ビアノの森」第二部が、この仕立て方だった。
作り手を批判するのは自由なのかも知れないが、読み手の勝手な怒りは時計通りに描くか、画面にあまねく時刻表示を強いるか。ドラマ性や表現上の自由度を落とすので、1手法と見てどうか受け入れて欲しいものだと思う。
尚、当初星を四つ、としたが、何度か読み直しても魅力を感じたので五つに変更。