散文詩でも読んだように読み終えた。まるで実験のような方法で物語は独特の紡ぎ方。
ハーレクインの表紙買いもそもそも初めて。感性豊かに二人が描かれ、そこから既にみなみ先生ワールドは始まっていた。
親が子を愛していない家庭。ヒロインは地獄から飛び出し、それは冒険以外の何物でもなかったけれども、HQだから幸せに着地した。
心の内を語る手法を取るとそこは映像化は厳しいが、エピソードが俯瞰される形で突き放し味わいを出している。
ただ、こういう形式を好まぬ読者は居るかもしれない。
相手の気持ちをつかみきれず、信じきれず。二人は疑心暗鬼の中に互いへの感情を内に抱えて、二人を繋ぐ「一夜」がその後の一切の振り出しとなる。「賭けた」訳ではなかったろうが、「未来のかかった」一夜に、なった。チャラ男としか思われない彼が、ただ一人、ヒロインを、愛を注がない家族という地獄から、王宮の冷たさから、保守的な国の生殺しの檻から、ヒロインを愛情によって手を差し伸べた奇跡の脱出劇なのだ。
それも、相手の登場のない舞台の台詞劇のようにモノローグでの言葉が躍動し、みなみ先生の繰り出す現実が隣に有りながら、二人以外は全員単なる舞台装置よろしく、関わり合いを無機的に仕上げている。
なかなかないポジションにいる作品だと思う。
人物以外が描かれていなさ過ぎの、頁スカスカのHQ作品は相当多い。そんなレベルの作品と同一価格で販売され、同じ対価の割合で印税を得ているのだとしたら、この作家の労力には不公平なような気がしてくる。
管理の厳しいところはレイラのようなことは不思議ではない。
私達の国に於いても、そこの立場の彼らは、我々の当たり前はほぼ経験できないという想像を越えた窮屈と、堅固な外界との隔壁と遮断とがある。庶民の我々なら誰もが知っていることは、我々は日頃自由に何気なく享受出来ているという「普通の」市民生活から我々が得られたものだ。
HQ的な極端設定の中に、お話の世界だからこその思いきりもあるが、ここはあながち見当違いのリアリティー欠如とも言い切れないと思う。
超音波での胎内撮影写真は、見たところで一体どこが何であるか判らないものだと思っていた。