スピーディーに展開してロマンスもサスペンスもある。
カラッと明るいキャラと行動力ある女の子が主人公で、キュートな絵柄にストーリーの面白さ、絶大な人気だったはずで、連載誌をリアルタイムで読めていない私にもその名が轟いてくる、一時代の寵児的な著名漫画家忠津陽子先生は、多分1970年前後のマーガレット系誌の筆頭ヒットメーカーだった。中でも本作は、キャッチーな作品名も手伝い実写ドラマ化で相当有名に。当時テレビは娯楽の中でも大きな存在感だったから、ストーリーのアイディアが女の子の支持を集める成功パターンのひとつ扱いをされたろう。
2023年からみて、絵柄もコマも、50年以上前のものというのは、隔たりを感じないと言ったら、それはもう嘘になる。
しかし、手塚治虫先生の絵をどうのというのは何か違うのと一緒で、今の視点で古さを理由に評価するのは私の主義でない。絵の好みでも星を下げたくない私。
今は当たり前となったアイディアが当時始まっていることは多いと思う。
女の子らしさの概念、男女観、いろいろ隔世の感はあるが、そこを、逃げれられない当時の社会の現実として、その中で自分の主張を出し、様々な制約の下で主体的に行動しようともがいていた。そこには、今よりも圧倒的に自由度の乏しい女の子の、新しい生き方への憧れの投影もあったかと思う。
表題作品は週マ1970年28号(5月17日号)~1971年20号(5月16日号)。
第1巻同時収録作「この恋いただき」29頁。これも女の子らしく、というストーリー。週マ1970年4号。
第2巻同時収録作「フランケンシュタインの場合は」30頁。タイトルから連想の通り外見等に関わる。別マ1970年4月号。
第3巻同時収録作「いつもふたりで」30頁。デラマ1969年秋の号。凄まじい恋仇関係。C調という言葉が既に使われてる。
第4巻同時収録作「花のアイドル伝」30頁。別マ1971年1月号。男性主人公。話の筋に男性から好かれるとか、別人格が現れるとか、先駆的なところも。
私のこだわりとして敢えて言いたいところは、時代から考えると厳しいのは重々分かってはいるのだが、ニューヨークらしさ、ナイアガラ滝らしさ、アリゾナ州の州都フェニックスらしさが、どうしても絵には感じ取れなかったところ。当時は西洋が舞台で横文字人名が飛び交う作品が主流だが、それでも、いやだからこそ、欲をいえば、舞台を置いている以上は、その地らしさがあったらな、と思う。