外国の読み物にはお金持ちに甘く貧乏には厳しく当たる話が多いと思うが、寄付文化とは格差があるからこそではないか、という気になる。
金持ちに生まれるのは自分の力でお金持ちになったのとは違うので、偉いわけでもなんでもない。使用人に厳しく接する根拠がない。
貧乏になったことは、遊んでもとあったものをなくしたのではないならば、本人のせいではないのに、なぜ、人からひどい態度をとられるのだろう。
ヒロインは教師のいじめに遭っても、勉強して賢くなり、先生という立派な職業についた。
職業に就くことが蔑まれる時代、自立していること、この事を称賛することは、本当に珍しいことだったろうと思う。
このストーリーは、そんな、使う者使われる者の身分の彼我を描いてもいるし、親の生死が子の人生を一生変えてしまうという、現代にも通じる親の経済力の問題も、そして、親がいても子を顧みない親の養育放棄問題など、社会の中の様々な図式の歪みを垣間見る機会となっている。 勿論、そこまで詳細に深い所を描き表していないけれど、HQはそのエアポケットに落ちてもがく女の子を救い上げ、幸福を、一人一人にもたらしてくれる。シンボリックに描かれた女性たちは、自分が生きるのが精一杯で、困難な状況を細腕でもがく。周囲のなんと冷酷なこと。自活しなければならないことは尊ぶべき。
一種のシンデレラストーリーとして、子爵の王子様的ルックスと行動力は王子様のポジションにふさわしい。
ヒロインを森の精(シルフ)と子爵がみまごうシーンが特に良い。
他のコマに比較して何倍も美しい画面だが、子爵がヒロインを見たときにも子爵的にそういう風に彼の眼には見えたのだ、という納得に繋がっていく。
ただ、時々同一人物に見えない角度がある。
また。80頁の、ヒロインの単独のコマ、少々分かりにくい。
私はHQのカラー扉絵を見るとき、色みの選び取り方を興味深く見ている。物語冒頭の丁寧な描写力も筆力を感じ、イントロ的に大変美しい。
子爵の迫ってくるシーンと求婚シーンは、恋愛ものを読むときに痛くなる同じ胸の箇所が痛くなった。キュンでなく、痛み。
子爵マーティンの言葉が特に素晴らしい。
「僕にとって美しい花は社交界にはいなかった。人知れず 厳しい寒さに ひとり耐える花は
そうここに咲いていた」
HQの男性は、見つけるのが皆さん上手。そう、HQにそういう男性が咲いているから。