このレビューはネタバレを含みます▼
まず、増田氏が如何に熱く、如何に大切に物語を紡いだかが、作品の節々から雄弁に語り掛けて来ました。主人公の木村氏に対する敬意だけでなく、敵役である力道山にも、儒教社会である朝鮮で、弟に生まれた事で支払わされた犠牲、来日してからの角界で受けた差別や虐め、日本人や家族を見返す為の努力や執念と、とてもフェアなストーリーであると思いました。
その上で、誤解を恐れずに感想を述べるなら、木村政彦は力道山を殺さなかったのではなく、殺せなかったのだと思います。無論、唯殺すだけであるなら、柔道最強の男でなくとも、誰もが加害者となる可能性はあります。ですが、殺した後に腹を切って果てるとなれば、話はまるで違います。作品の登場人物や三島由紀夫の様に、死ぬ覚悟の定まった人間なら、切腹はさして難しい事ではないと感じる向きもあるかも知れません。ですが、醜態を晒さずに死に切る事は両刀を帯びた武士であっても至難であり、その為、大抵の切腹には介錯人が付きました。流れ出る血液と共に力が失われ、介錯を受ける前に倒れ伏してしまい、頸を刎ねる事が出来ずに心臓を突いたという記述も、当時の文献には見受けられます。柴田勝家の様に、腸を掴み出す豪傑は例外中の例外で、江戸時代中期ともなれば、腹を切れずに、首を吊る武士も少なくはありませんでした。
人を殺すだけなら怒りや憎しみで事足りますが、切腹に必要なのは狂気です。ましてや、標的以外の相手を傷付けたり、捕吏の手に掛かったなら、汚名を雪ぐ所か恥の上塗りとなります。護衛や周囲の人間に怪我を負わさず、確実に力道山を殺した上で、捕吏に捕まる前に腹を切って果てる。下賜された短刀一つで行うなら尚の事、骨に当たっての刃零れや、ついた血油で割腹は難しくなり、切腹する為、短刀を手放せないとなれば、取り押さえに来た相手を害する可能性も飛躍的に高まる。僅かでもしくじれば、素手で敵わないから刃物で襲った最低の卑怯者となる。その至難を知る武道家であるが故、殺害に踏み切る事が出来なかったのではないかと。