『ギラギラ』は、元伝説のホスト・七瀬公平が家庭を持った後、再び夜の世界に戻る姿を描いた人間ドラマだ。ホストという虚飾に満ちた舞台でありながら、本作が描いているのはむしろ人間の誠実さや弱さ、そして矛盾だ。虚構の中で「本気」を貫く男たちの姿に、読者は不思議なリアリティを感じる。
作画の土田世紀が描く人物たちは、華やかさよりも哀愁や疲れをにじませ、表面的な美ではなく“生きた表情”を生み出している。そこにこそ、この作品の本質がある。
一方で後半にかけての展開はやや予定調和的で、型通りの成功物語に収束していく感もある。脇役たちのキャラクターに深みが足りず、夜の街特有のグレーな魅力がやや薄れていく点は惜しい。
だが、本作の面白さは「ホストの物語」としてではなく、“社会常識の裏を生きる人間たちの生”を描いた寓話として読むことで一層際立つ。昼の社会では誠実が美徳とされるが、夜の世界では演技と自己演出が信頼を生む。『ギラギラ』は、そんなパラドックスを通じて、「本当の自分」とは何か、「正しさ」とは誰の視点かを問いかけてくる。
つまりこれは、ホストの話ではなく、「自分らしさ」の本質を問う物語なのではないだろうか?