読みはじめのティーンエイジャーの頃は、コメディの感覚もついていけたが、さすがに所謂楽屋オチは、あれから何十年も時が経つと、勝手にやっててくださいとなる。
残るのはシリアスなところの筋だけになった。
愛を自覚する場面、何度も繰り返し読んでるから、そのタイミングがそこだということに泣ける。
出征を見送る場面、先を知った今の読み直しだから泣ける。
髪を切り白い喪服を着る場面、胸の痛みは最高潮になり辛い。
おじいさまおばあさまのお寂しい屋敷での生活ぶりに涙が止まらなくなる。
もしかしてと出掛けた満州、違うとわかった時の落胆、その気落ちが私にも痛いほど伝わる。
少尉を見間違えるはずがないと潜り込み確かめにいく行動、とても理解できる。ラリサさんが憎らしくなるとき。
わらべ歌を聞いたりするうちに記憶を戻す少尉の心中察するに余りある。
命を懸けての救出に胸が一杯になる。そして、去ってゆく靴音に終わりを感じる少尉に泣ける。
街角で二人が出くわす時の、大切なひととき、二人の雰囲気に感情移入してしまう。
何度読んでも何ヵ所でも泣ける。昔は笑ったところも多かったのに、今笑いのツボが合わずに悲しい場面だけが強く印象を残す。
紅緒を取り戻すクライマックスに使われる題材に、私はこの作品を初めて読んだときは子供ながらそのストーリー作りの上手さに驚嘆したものだった。えーっ、あぁそうかそうか、そのタイミングかーーーと。
発表当時は、現代とストーリー作りのテンポが違う。そのため、最終話のまとめに入る幾つかの頁も慌ただしい。こんにちのコマの使い方は頁数稼ぎで大きいのばかり、一回当たり連載頁数で間延びして話がほとんど進まないが、対称的にこの作品の時期はどんな長編でも中身の濃厚な筋運び、ラストのゴールテープまでフルスピードで走りきるという時代。79年代は最終回で結婚式を延々と展開するなど、製作環境として許されなかったのだろう。慌ただしい収拾。それでティーンエイジャーの小遣いで買える娯楽として使命を果たしていた。
ハーレクイン辺りで最後もっと描写を、とのレビューをよく見かけると、正直複雑。今読めば、この作品だってそうであったら感想も異なっていたかもしれない。もともとコメディ慌ただしい設定であるが、やっと迎えた二人の幸せをじっくり見たかったと、この作品にこそ何度も思うところ。
番外編は新鮮な企画だった。