迷うことが悪いと思わない。好きな人が居たが成就せず他の人へ、というのも普通にあり、想いは残る。非難しない。その時々の選択が、読者の「くっついて欲しい二人」への期待を裏切っても、その点では私は評価を下げない。作者の作る物語だ、文句を付けない。読者が強要して似たり寄ったりの話に成り果てる方が、私はご免だ。思春期なんて、うじうじ、悶々、フラフラ、回り道も停滞もあるし、落とし物するし、取り返しのきかないこともある。そんなハタが焦れる状態を描かれて耐えられない人は、読まなければいい。自分の理想の男の子や女の子がそこにいないことを、作品の評価基準に私は出来ない。
洸という男の子のやり方を評した修子の台詞に、「だったよね~」の気持ち。
ストロボエッジ派とアオハライド派が居るが、私は断然前者(7巻駅の絵に同一感無し。13巻番外編は懐かしい)。咲坂先生のキラキラ描写、キュンで埋め尽くされて浸れる。一方アオハライドは群像劇部分と双葉の対人関係や洸の事情などへの配分や絡ませ方に、多少の強引さを感じるのと、田中先生の役不足を感じるのと。
群れてただ同調、真の友を見いだせないでいた双葉が、浮いてしまうけれども自分の考えを主張し出す始まりはいいうねりを感じていた。個になってスタート切るというのが清々しかった。十代の頃、容姿良く頭も良い事で目立ってしまう為に妬み僻みを受け、傷ついた子が何人も、私の通う学校に新天地を求めて入ってきたから。この物語は、女の子の陰険なハブとか、男の子の前では年頃故に素になれない姿だとかに触れていて、それは良い。
十代は性格が変わるのはあることだ。
友部分で強くなりすぎたメッセージ性などを経て、双葉と洸の恋の行方に噛ませて膨らまそうとして、苦戦した感じ。波乱要素である洸の親のこと成海のこと、一体話はどうしたいのか、ただ話が締まらなくなったかに見えてしまう。成海が後半のヒールなのだが、これメインなら平凡な展開。いっそ友を柱とする方が目先新鮮ではなかったか。私の目には、作者の狙い通りかもしれない当て馬君の良さに高い好感。双葉の迷走よりも、お話作りに盛られた豪華なおかずのひとつに陳列された印象。どの要素も箸の進むおかずなので総花的。多感な頃に男の子が流す涙も潜在的魅力は有りと思うが、如何せん、ぎゅうぎゅう詰めなのだ。削ぎ方盛り方の問題なのか。構成が有機的でない。3.6-8位。