ヒロインがジェレマイア・ロナーガン宅にさっぱりとした空気を吹き込み、15年間寄りつかなくなっていた孫のサムが暗さしか感じなかった地で、過去を乗り越えるきっかけを彼にもたらした。
湖が度々語られるうちに、絵で描写されている湖の相当な広さもさりながら、ミドルティーンの男子が潜水遊びに興じられるほどの深さ、また、その遊び仲間の異変に気づけぬ深さ、も知らされていく。それほどに広大な湖が、過去の事件の舞台か、と。翻って女神イメージを図った冒頭のヒロイン初登場シーンに、話を造り過ぎた感が拭えなくなってしまうのだ。月夜の黒い湖から物語は入ったが、昼の湖よりも主役にしやすかったのかもしれない。月夜の湖での水浴びシーンありきで話の筋を後付けしたような感じがしてしまう。重い罪の意識を後で示す前の、大切な出会いシーンなのはわかる。邦題も着目点はそこ。素朴に感じること。いくら私有地の(「池」ではなく)湖であっても、夜に一人で全裸で水浴びなんて、と。
瀧川先生の滑らかな描線で安定の絵が手際よく並べられ、描こうとしているものがとても明確。いろいろな表情が巧みに描き分けられている。自分の気持ちを自然体で伝えてくるようなマギーのキャラをそのまま反映してるとも受け取れる全裸水浴、却ってそのあけすけな肢体の描かれように逆に色気が吹き飛んでしまったように感じた。本来最も欲しい所なのに。一糸纏わぬ姿を見られているのに、羞恥をそこまで見せていない絵面に、マギーというキャラの投影があるのだが、反面、以降ちょくちょく裸の絵が出されても、最早私に何ももたらさないのだ。見慣れてしまいインパクトをなくし、同時にそれはそこにそういうシーンを置く意味を成さぬことになる、というか。承知の上の展開とは思うが。
実質的な転換点は、第三者によってもたらされた。
「僕は幸せになる権利はない。」「いいえサム/幸せになる権利は誰にもあるの/ただあなたにその気がないだけ」
サムにはマギーの言葉はこの時通じない。
命の誕生に立ち会うことによって、サムの心の気づきがある、という筋運びには、話としての新鮮味がどこもないが、「ぬけがらのような僕の生き方は彼らの生を冒涜するものではなかったか」は、強いメッセージ性。
「この苦しみから解放されるには息子が生き返るしかないんです」と、逆説的に解いているように聞こえる間接的な諭しが存在感ある言葉だった。